僕の彼女が死んだのは梅雨真っ只中で火葬路に彼女の眠る棺が放り込まれたときですら僕は彼女が死んでしまったという実感が持てなくて、彼女の身体が炎に飲み込まれていく間も煙突からもくもくと燻る灰色の煙をぼんやり眺めているだけだった。
きつく寄り添っていた間柄やのに涙のひとつも流されへんなんてどうしようもなく薄情なやっちゃなあ。
———「なんやあの猫ちゅーる食べ終わったらどこかへ行ってしもたわあ。ほんま薄情やねえ。でもまあ猫ってそういう生き物やから、それでええんかもね。それが正解なんよ。私が勝手にちゅーる食べさしたんやから触らせてくれるやろなんて当然のように対価を求めて縋ってしまっただけなんかもしれん」
かつて彼女が言っていたことを思い出した。僕も、あのときの猫と同じやんなあ。泣かれへんやもん。薄情やろ? ごめんなあ。言い訳かもしれへんけど、君がまだ生きてるような気がしてならん。なんでやろうなあ。冷たくて青白くなった君を見たのに。この目で確と見たのに。なんでそんなふうに思ってしまうんやろうか。
紫陽花一緒に見に行こう言うてたやんか。あれどないすんの。行くんやろう? なあ、聞いとる? ああ、もうわかったぞ。悪戯好きな君のことやし、ひょいって死角から出てきて僕のことびっくりさせよう思うてるんちゃう。残念でした。そんなん僕はもう騙されません。僕はもう驚いたりせえへんよ。せやからさあ、いい加減、姿を見せてくれへんかなあ。僕な、ひとりは嫌やねん。怖いねん。君が居らんのにひとりで生きていくなんて怖すぎるよ。
君の好きな紫陽花色の宝石が施された指輪、この指輪、どないしよ。紫陽花見に行ったときにな、僕のお嫁さんになってくださいって言おうとしてたんよ。練習もたくさんしてたんよ。もう言われへんのか? 君は聞いてくれへんのか? 僕のお嫁さんになるん嫌やった? 困ったなあ。ほんま困ったなあ。 僕は君の旦那さんになりたかってんけど、それは独りよがりやったんかな。でも君も同じ気持ちや思うてたんやけど。やっぱもう答えなんて聞かれへんやろうか。しんどいなあ。
梅雨が過ぎれば君にまた会えるんちゃうやろかって思うてしまうのは、なんでなんやろうか。
雨が降れば止むのと同じで季節は巡っていくのに、君の時間は止まってしもうたなんて信じられへんよ。
骨壷に詰められる君やったもの。真っ白い骨。みんな泣いてる。僕は相変わらず泣かれへん。それでも手は震えていた。かつて僕が素肌の上から手を這わせた、その下にあった骨を今箸で掴んどるなんてやっぱ信じらへん。なんでなんやろ。わからん。わからへん。信じらへん、それしか思われへん。今も君は絶対にどこかに居てる。隠れてんねやろ? 僕を揶揄ってるんやろ? 僕が狼狽する瞬間をじっと待って、けたけた笑うてるんやろ? なあ、この冗談はほんまにおもんないよ。早う出てきてや。なあなあななあ。なあ、頼むよ。お願いやから。なんでも言うこと聞いたるやん。せやからさあ、ほんま還ってきてくれへんかなあ。
・
・
・
雨の音で目覚めた深夜。悲しい夢を見た。彼女が死んでしまった日の夢。梅雨時期はどうしても彼女を思ってしまう。彼女はまだ還って来ない。
あれから長い時間が流れて紫陽花色の指輪もずいぶんと色褪せてしまったけど、いつか渡せるそのときまで大事にとっておくんだ。
しとしと降る雨の音を聴きながら「彼女に会えるいつか」を待って今宵もひとり寂しく眠る。
6/2/2023, 6:32:31 AM