雪羊

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私は自分が大人だと思ったことはない。
二十歳をとうに過ぎていて、経済的にも精神的にも自立した生活を送っているのだから、おそらく100人中99人は私を大人だというだろう。(1人くらいは言わないかも。)でも、やはり自信を持って大人であると言うのは躊躇われるのだ。

では、子供なのかと自問すると、即座に、子供ではあり得ないという返答がある。こんな歳にもなって子供だと言われるのは、なけなしのプライドが受け入れを拒否している。

ならば何故、私は子供ではないと思うとき、一抹の淋しさを覚えるのだろうか?すぐに思い浮かんだことがある。

『赤毛のアン』を知っている人は多い。しかし、よく知られているのは1巻だけだ。赤毛とそばかすがトレードマークの想像力の塊のような女の子は、2巻以降母になって、戦争が起こる時代を生きていく。そのどこだったかで、大人になったアンが浜辺で一人ではしゃいでいるところを近所の人にみられてしどろもどろに弁解する場面があった…と記憶している。いい大人の女性がはしたないというわけだ。

大人になるということは、子供のころの衝動的な感情を外聞やら常識やらコスパやらやら目的意識やらで制御できるようになるということなのかもしれない。それが悪いわけではない。しかし、一度はめてしまった枠は容易には外れない。外せない。
それが淋しさの正体かもしれないと、思い至った。

お題:こどものように


10/13/2022, 1:25:31 PM