ストック

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何気なく立ち寄ったアンティークショップ。
私はそこで綺麗な香水の瓶を見つけた。中身はまだ残っている。
試しにほんの少しだけ手の甲にかけてみる。
鼻を近づけるが、何の香りもしない。
不思議に思っていると、店長がぼそりと呟いた。

「その香水は自分以外の人にかけるものだ。その人にとって最も幸せな記憶に結び付いた香りがする。香水を使用したものにしか香りはわからないがね」

まるで都市伝説のようだなぁと思いつつ、私は興味をひかれて香水を購入した。
試しに、学生時代の友人の手に香水をかけてみる。
友人は首を傾げていたが、私にはシャンプーのような香りがした。
この香りには覚えがある。もう亡くなってしまった、彼女の愛犬の匂いだ。
店主の話はどうやら本当らしい。

それから、私の毎日にちょっとした悪戯が加わった。友人や職場の人にそっと香水をかけてみるのだ。
家の独特の匂い(実家かな?)、高級な香水の匂い(彼氏からのプレゼントかな?)、美味しそうなトマトソースの匂い(レストランかな?それとも手作り?)…。
その人の大切な思い出を勝手に覗き見るようで良くないことだとも思うが、それがまたスリリングで楽しかった。

ある日、私はいつも明るいムードメーカーの後輩くんに香水をかけてみた。
いつも楽しげな彼の幸せな思い出ってなんだろう。想像を巡らせながら彼の香りを探す。
しかし、彼にかけた香水からは、何の香りもしなかった。
こんなことは初めてだった。どんな些細な思い出にも匂いは必ずつきまとう。
なのに、彼からは何の香りもしない。

彼には幸せな記憶がないのだろうか。
仮に、今まで幸せな思い出がなかったとしても、今ここに存在していることも幸せではないのだろうか。
この楽しげな笑顔も、彼の仮面にすぎないのか。
興味本意で覗いてしまった彼の心は、虚無が続く底の見えない深淵だった。

それ以来、私はあの香水を使うことをやめた。

8/31/2023, 2:09:01 AM