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記憶と言えば、秋刀魚を焼いていた記憶。
それが、私の父の記憶。
生まれて最初の記憶。
練炭の炎に、燻るはらわた。
快活な父はこう言った。
「炭火で焼くと、旨いんだよ」
って。
今でも思い出す。
このことを思い出す時に、ついてくるのは、焦げた炭火の匂い。
と、彼氏に話したら、ずいぶん神妙な顔で言われた。
「大変だね、それって」
「どういう意味、それ?」
「だって、今どき練炭なんて見ないじゃない」
それはそうだ、だって、あの七輪の匂いは今では嗅げないもの。
そうして、炭火焼肉は続く。
好奇心の塊みたいな彼。
きっと、焼き秋刀魚のことを言い出したから、こんな夕食になったのだ。
「割り勘にしようね」
「でもそれじゃ、飲まない玉穂に悪いし」
「いーよ、いーよ。焼肉いっぱい食べるから」
箸が伸びるのは、多分炭の匂いがそうさせるのだ。
炭火の誘惑。いつにも増して、箸が進む。

7/17/2023, 10:13:00 AM