「あなたに届けたい」
僕は外で声が出せない。家ではあんなに家族と楽しくおしゃべりできるのに。
今日はクラス替えをしてから初めての学校。教室に入り、自分の席を探す。窓際だ。よかった。両隣に人がいるよりずっと気楽で、教室の中で一番好きな席だ。
席に座って一息ついたところで不意に声をかけられる。
「はじめまして。なぁ、名前なんていうの?」
あぁ、まただ。わかっていたことだ。わかっていたことだが、それでもこの時間が一番嫌い。声をかけられると、自分の喉は石になってしまったと勘違いするくらい重く、固くなる。心の中ではその声に答えたくて叫んでいるのに。
緊張と申し訳なさで目が合わせられない。声も、出ない。
「なんだよ。無視かよ。」
ベーっと舌を出して威嚇してから去っていく。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい
また嫌われてしまった。ほんとは、みんなと仲良くしたいのに。いつも同じところで立ち止まってしまう。
「ねぇねぇ。はじめまして。僕、ユウタっていうの。おとなり同士、よろしくね。」
答えられない。一秒、また一秒と時間が経つにつれて空気が重くなっていくのを感じる。周囲は騒がしいはずなのに、時計の針が動く音が脳に響く。結局、彼の言葉に答えることはできなかった。
それでも彼は、毎日話しかけてくる。
「おはよう。」
「(おはよう!ユウタくん!)」
「今日の給食なんだろうね。」
「(なんだろうね。こんだてひょう一緒に見にいこう!)」
「ねぇ、みてみて。折り紙でカエル作った。君にあげる!」
「(ありがとう!上手だね。すごい!)」
「あ、消しゴム落ちたよ。よいしょ…。はい!」
「(ありがとう)」
言いたいことはたくさんあるのに、それらはすべて僕の喉から出ることはない。彼に言いたかった「ありがとう」がお腹の中に溜まっていく。それでも彼は、何を言っても答えない僕に対して、他の子と何も変わらない態度で接してくれた。
明日。明日こそはちゃんとお礼をしなくちゃ。
「おはよう」
彼がいつも通りの優しい声で挨拶をしてくる。
今だ!
昨日の夜、家で何回もシミュレーションして準備をしてきた。その成果を発揮する時が来た。
机のお道具箱から、算数で使うホワイトボードとボードペンを取り出す。
ありがとう
緊張で手が震えて文字が歪んでしまった。余計な力が入っているせいで書くスピードも遅い。
それでもバッと彼の前に突き出す。
下を向いているせいで彼の表情は見れない。
一拍間があって、彼の今までにないくらい明るい声が鼓膜を震わせる。
「うん!どういたしまして!」
それは、声のない、僕と彼との初めての会話だった。
まだ彼の目を見ることはできないし、ホワイトボードじゃないと会話ができないけど。声が出せる日がいつ来るのかわからないけど。いつかちゃんと、彼の顔を見て、自分の声で、自分の意思で、ありがとうと言えたら。彼はどんな反応をしてくれるのだろうか。
1/30/2026, 1:12:14 PM