真澄ねむ

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 修道院の近くにはドナという小さな街がある。牧畜業を営む何てことないありふれた田舎だが、各地から訪れる巡礼者が大勢宿泊するので、思いの外活気があった。
 旅の道中だったが、久々にドナに戻ってきたマーシャは、街の中央にある噴水広場で人を待っていた。約束の時間よりだいぶ早く着いてしまった。近くのベンチに座って、ぼうっと高く吹き上がる水流を眺めていた。
「――遅くなって済まない、マーシャ」
 声と共に肩に手を置かれて、思わず彼女は肩を跳ねさせた。早鐘を打つ心臓の上に手を置いて、一度深呼吸をすると彼女は笑顔を浮かべて、声の方へと振り向いた。
「いいえ。わたしが早く着き過ぎたの。むしろ、どちらかというと、あなたの方が早過ぎるわ」
 そこに立っていたのは、マルスだ。少し息が上がっているのは、急いでこちらに来たらしい。約束の時間まで、まだ一時間もあるのに。思い返せば、五分前、十分前……三十分前に着いても、彼は先に来ていたっけ。
「少しでも君を待たせるのが嫌なんだ」
 穏やかな笑みを浮かべて、事もなげにそういう彼に、彼女は咄嗟に返す言葉が見つからなかった。
「それにしても、手紙が間に合ってよかったよ」
「ええ、本当に」彼女は頷くと、気づかわしげに彼を見やった。「お誘いは嬉しかったけど……あなた、忙しいんじゃないの?」
 彼は修道院長代理やら、騎士団長やら、何やかんやとあれこれ引き受けている。手紙の返事を読んでいる限り、マーシャはあれこれ引き受け過ぎているのではないかと心配していた。仕事中毒の気がある彼に、あまり仕事をし過ぎないようにと、口を酸っぱくして言うものの、治る気配はない。
「あれぐらい大したことないさ」
 からりと笑って、彼は彼女に手を差し伸べた。その手を取って、彼女は立ち上がる。
「今日はどこに連れていってくれるの?」
 彼に手を引かれながら、彼女は問う。彼はちらりと振り返った。
「君はどこに行きたい?」その声音は優しくて、見えなくても微笑んでいるのがわかった。「君と一緒ならどこへでも」

1/6/2024, 2:47:45 PM