はとり

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 もしも全人類が未来を見れるようになったら、真っ先に天気予報がなくなるのだろう。
 人の行動なら「こうなる未来があるから気をつけよう」といくらでも変わるけれど、天気は絶対に変わらない。文明の発達した現代でさえ、自然の気まぐれに振り回されるほかないのだから。

 『雨』マークのついたスマホの天気予報を睨みつけながら、そんなことを考える。ポテトを1本つまみ口に運んだ。

 フィクションの中で未来視が登場するとき、たいてい回数に限りがあったり痛みを伴うなどの代償があったりする。
 例えば全人類が『人生で3回だけ』未来視ができるなら? これなら気象予報士は安泰だ。よほど大事な日でもなければ、たった3回の貴重な未来視をその日の天気を知るのに使う人はいないだろう。人生で100回だったとしてもあまりいないだろう。

 では、『無制限に』『気軽に』未来視ができるとしたら?
 好きな人の行動やテスト問題を知る前に、みんな1日の天気を見るのではないかと思う。結局その日の生活がいちばん大切。
 人為的に変わることのない天気の未来は確実だ。今日は雨が降る、という未来が見えたなら、折りたたみ傘を持っていくなり予定を変更するなりできるのだ。
 現代の天気予報でも見ることはできるけれど、精度は向上したとはいえまだまだ不確実。
 外すことだってあるのだ。……例えば今日のように。盛大に外して「違うじゃん!」と言おうとすると16時の『晴れ』が『雨』にしれっと差し替えられている、なんてことも未来が見えればなくなるだろう。

 まぁ、『無制限に』『気軽に』なんて未来視、楽しくないし収拾つかないと思うけれど。だからフィクションの未来視は制限付きなのだろう。

 大きな雨粒が強く窓を叩いている。まだ雨は止みそうにない。
 いつ帰れるのかな。
 未来を見ることはできない私は、傘を忘れてしまったのだ。

4/19/2023, 10:17:43 PM