2011年に鬱と診断されて、というよりもっと前から何かおかしくなっていたけれど、仲の良いママ友に精神科受診した方がいいと言われて、受診したら診断がついた。
鬱って、いい大人が恥ずかしい。
家族にも精神科受診したことを、最初は言わなかった。
だいたい鬱になって、10年後がまた危ないということで、2011〜2015年くらいが辛かったから、ちょうど今年が鬱の最終の年になる。
考えてみると、2021から始まってこの5年は危ない年だった。
鬱って、今日嫌な事を言われたから明日なるって事ではなくて、忘れた頃に何かのキッカケで嫌なコトバを思い出し、嫌な出来事を思い出して、忘れようとしても毎日毎日どんどん思い出してしまって、何年かの思い出しの蓄積の結果、そういうことになったりする。
【自分の責任】と【許せない】、が、せめぎあい、矛盾して、混沌として、実生活が困難になっていく。常に頭から離れなくなって、憎しみと、憎しみの前には必ず愛情があるから、そうなるとやっかいだ。
会社で仕事で嫌な上司や部下、会社そのものなどにハラスメントを受けるのも耐えられないけれど、実際の相手、対象がいればまだ少しはまし。選択の余地がまだあるから。
ぶつける相手はもう居ない、自分で自問自答を何年も繰り返す羽目になったのは、結局自分だという泥沼は、なかなかそこから抜けきる事はできやしない。
そうなると他人の手が必要になってくる。
だけど、その他人の目や言葉尻に不信感を抱くとまた厄介で、それも自分を責める事になる。
思うに、わたしはそういう苦しむ状態が何年も必要な人間だったのだと思う。
今年もあと僅かだ。
あともう少しで、節目の年が明ける。
自分の心の縁を、慎重になぞってここまで来た。
今まで生きてきた半分の時間をそこに割いてしまったけど、その中に、【そうか!】と分かった事もある。
きっと、人生のうちで分かる事など、ほんの少しに違いない。それを掴めただけでも、良かったのだと思う。
11/9/2025, 11:28:01 AM