かたいなか

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「そろそろ、書きやすいネタが、欲しい!」
次の題目配信まで、残り約10分。とうとう遅出しの新記録を樹立してしまったと、某所在住物書きは懸命に指を動かし続けた。
ブルートゥース接続のキーボードを所持していたのは、物書きには幸運であった。
昔々の人間である、スマホ画面のフリックよりキーボードのブラインドタッチの方が早い物書きが、
現代の若者同様にスマホで文章を素早く的確に打てるものか。
打てないのだ。しゃーない。

「若い子、バチクソにフリック入力早いやつ居るじゃん。憧れはするが、多分俺には無理よな……」
キーを叩いて、叩いて、叩いて、変換してエンター。ようやく書き終えた文章はサッパリ納得のいかない仕上がり。
「まぁ、なんなら後で書き直せるし」
物書きは投稿後のサイレント編集、サイレント再投稿に一筋の光を……

――――――

曇り空の都内某所、某稲荷神社。
不思議な餅売り子狐が、昼寝をしようと外に出て、
くるくるまわり、尻尾を枕にあごを乗せ、
ふわわ。大きく口を開けあくびを、

「あのね」
している最中、見慣れたふたりが神社に参拝に来たのを感知した。
「やっぱり、先輩自身のためにも、加元さんにハッキリ伝えるべきだと思うの」
話をしているのは、たしか子狐の餅売り商売のお得意様の、お連れ様。
「コーハイ」、後輩なる身分である。

なんだなんだ。なんのおはなしだ。
子狐コンコン、眠い目を開け、寝たい耳を上げて、人間ふたりの問答を聞いた。
どうやら、おみくじ売り場でおみくじを買っている最中のようである。

「『加元さんに』、『ハッキリ伝える』?」
よく知る声、藤森という名前であるところの、子狐のお得意様の声が届いた。
「私が故郷に帰ることを?『追いかけてくるほど私が欲しいなら、ここまで来てみろ』と?」

子狐は「加元」なる単語を知らなかったが、すなわち、こういうことであった。
加元は藤森の初恋相手。
なんやかんや諸事情で、加元が藤森の恋を傷つけ、心を壊したのだが、
藤森が加元から行方をくらまして逃げ続けて8年、最近になって突然、加元が「勝手に逃げるな」と「もう一度話をしよう」と、何度も何度も、出禁勧告を出されるほど、
職場を突き止め、何度も。押し掛けてきたのだ。

と、いう背景など、勿論子狐は知らない。
何か難しい、人間同士の縄張り争いであろうと、ひとり勝手に推測して、小首を傾けるのであった。
相変わらず人間の世は難しいなぁ。

「先輩の今の気持ちを、加元さんに伝えるの」
「『これ以上迷惑をかけるな』と?加元さんが素直に聞くとでも?」
「違う違う。先輩の、『今』の気持を、伝えるの。ぶっちゃけ加元さんのこと、愛してないでしょ?」
「……つまり?」

「粘着してくる人って、『向こうも自分をまだ愛してる』って、勘違いしてるパターンが多いらしいの」
後輩がまた、藤森に物申した。
抑揚は確信的で、自信にあふれ、なにより藤森を第一に思いやる力強さであった。
「先輩、誰も傷つけたくなくて、何にも話さず別れたんじゃない?

怖いかもしれないけど、言っちゃえばいいよ。『あなたのSNSの投稿で心が傷つきました』って。『もう、あなたのこと愛してません』って」

言ってみなよ。
きっと、少しは心が軽くなるよ。
後輩は付け足して、それから黙った。
「『傷つきました』、……『愛していません』」
後輩の言葉を繰り返す藤森の声は、加元へのトラウマがチクリ心を刺しつつも、
しかし、何か、一筋の光を見出した様子。

「たしかに、」
ところでお得意様、今日はお賽銭、いくら入れてくれるんだろう。
子狐は段々、ふたりの難解な会話から興味を失って、再度、ふわわ、大きなあくび。
「ただ当たり障りなく、誰にも角を立てたくなくて、加元さんが自分自身を責めないように、……私が、悪いのだと思うように」

何も話さず、ただ逃げ続けてきたのは、確かだ。
藤森が小さく頷くのも、そうだなと納得し呟くのも構わず、目を閉じて眠りに落ちてしまった。

11/6/2023, 9:55:13 AM