髪弄り

Open App

白い壁、脈打つアイツは、零したインクの跡みたいに広がっている。
「無視するなよお嬢さん、俺はあんたが声を聞いてることくらい、お見通しさ」
リズムを刻んで話すアイツ。
ありえないのに、
90年代のどこか古臭いその喋りに、私はひどく悩まされた。
「どなたですか、私はあなたを存じ上げませんが」
「忘れちまったってのかい!俺は悲しいよベイビー、ずっと共にいたってのにさ」
「はぁ…」
少なくとも私には喋る臓器の知り合いはいない。いや、人間を臓器の塊とするなら、そうも言える。いや、ないな。
あまりに突飛な考えに笑ってしまう。少し思考を巡らせた後、この状況の答えを探す。
「人違いじゃないですか?」
「いや、嬢さんほどの美人、俺が忘れるわけないさ」
「いやぁどうでしょう、他人の空似というやつですよ」
中身のない会話を続けてると不意に壁の一部が倒れ込む。手のひらサイズの金属片がふよふよ浮かんでいる。垂れたコードを左右に振って、私もそれに手を振り返す。
「ごめんなさい、やっぱり人違いでした」
「おいおい、そんな金属が俺の代わりを務めるなんて無理無理だ」
「そんなことない、私にとっては命と同じくらい大切ですよ」
金属片を握りしめ、胸に当て込み部屋を出る。最後に一言告げてやる。
「私のオリジナル、見つかるといいですね」

『大切なもの』

4/3/2023, 11:36:11 AM