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 酔っていた。ぼくはしたたかに酔っていた。
「も、もう……ぼくなんかにぃ、っ、か、かまわないでくださいぃぃぃ……!」
 連休前の仕事終わり。少し無理して片付けた業務に比例して溜まった疲労。帰宅前にアルコールで胃へと流してしまおうと、居酒屋に入ったはいいものの。
「分かった分かった、まずは落ち着いて」
「うっ、うう……いっつも、はなしかけてくれるし、おかしくれるし……っ、そんなにやさしくしないでくださぁい……っ!」
「ちょっと飲みすぎだよ、ほら、水飲んで」
 一緒に飲んで笑って、ささやかな仕事の愚痴なんかを言い合って、当たり前に楽しくて、いつの間にかとんでもない量を摂取してしまっていて。
 気付けば情けない声で呻いている酔っ払いのできあがり。おかしい、どうしてこんなことになっているんだろう。こんなにお酒に呑まれるなんて、今までなかったのに。ぼくはただ、隣に座るこの人と、ずっとこうしていられたらいいなあ、なんて、ちょっとセンチメンタルな気分に浸っていただけなのに。
 もうほとんどべそをかきながら、背中を撫でてくれる手から逃れたくて身を捩る。触れているところが熱くて、これ以上熱くなりたくなくて。
「や、やめてくださいっ、も、ほうっておいて……」
「そんなことできる訳ないでしょう。いいから水飲んで、家まで送っていくから」
「ほらぁ、またそうやって、あなたがやさしいから、ぼく、ぼく……うううう」
 ――もっとあなたを好きになってしまう。
 酔っていても流石に口には出さなかった。出せなかった。
 代わりにどんどん目の辺りが熱くなってきて、視界がぐにゃりと歪んでくる。なんて情けない。
 ついにボロボロと涙までこぼし始めたぼくを見て、ハンカチを差し出してくるあなたのまた優しいこと。おしぼりじゃないのがまた、もうやだ、好きがまたあふれて、涙が止まらない。
 
【優しくしないで】

5/3/2023, 7:33:45 AM