〝病室〟が今日のテーマだという。
私ほど病室に色々な思い入れがある人もそうそうなかろう。
昔はよく病室に居た。
隣に居るのは父でも母でもなく点滴だった。
繰り返し流れるアニメーション映画をみて、
飽きたら点滴から落ちる雫を数えて、
疲れて眠る。
そんな生活だった。
私が通っていたのはクリニックだ。
つまり病床はあれど入院できないのだ。
毎週水曜日~金曜日のどこかしらで朝から点滴を打って、
夕方までずーっと1人だ。
もちろん、母はそばに居た。
母よりも近くに居たのが点滴だった。
小学校に上がる前にクリニックでは手に負えなくなり市立病院へ転院した。
良い悪いを繰り返し、
診察室の隣のベッドで横たわる日もあった。
小学5年で病気は急に牙をむき出した。
〝死ぬ〟ということを本気で覚悟した。
私は気管支喘息だ。
喘息持ちの人ならばわかって頂けるだろう。
あの吸っても吸っても酸素が回らないアレが永久になるのだ。
そう、
つまり酸素が吸えないのだ。
呼吸困難とはそうなのだ。
吸っているのに来ない。
息したいのに息が出来ない。
陸に居るのに溺れている。
そんな感覚だ。
そして、レントゲン撮って血相変えた看護師さんは
【今すぐ入院してください!手続きや準備は後でいいから、もう今すぐ入院してください!】
と声高に叫ぶように言った。
肺のレントゲン写真は撮ることはあってもそうそう見ないのかもしれない。
私はその時、肺が白いモヤモヤで覆われていたのだ。
肺が認識出来ないくらいの白い影だ。
それはそれは只事ではない。
通されたのは6人部屋のドアに近いベッド。
私に点滴した看護師さんが祖父と仕事をしたことがあると言っていた。
私の祖父はその市立病院の創立メンバーかつ副院長だった。
若い男性の看護師さんは驚いていた。
「おじいちゃん有名人?」
私は聞かされた話をした。
「おじいちゃんはお医者さんだった。」
するとその看護師さんが大層、祖父を尊敬していたようで
「おじいちゃんはお偉い先生だったんだよ。」
と言っていた。
その通された病室は私以外居なかった。
母はテレフォンカードのようなものを買ってきた。
*今どきの子はテレフォンカードすら知らないかもしれないが。
そのテレフォンカードのようなものを挿入口にさすと、テレビと冷蔵庫が動いた。
それからしばらくして私より2歳ほど下の男の子が入院してきた。
その子は何度か入退院を繰り返してるようだった。
その後に齢2歳ほどの小さな女の子がやってきた。
とても人懐っこい性格で、私をすんなり受け入れてくれたのだ。
日中は小さな遊び相手と遊んで、
夜は病気が牙を剥く。
小さな遊び相手の母親が私の母に言った。
【本当につらそうな咳をしてて……苦しそうで……】
つらそうでも苦しそうでもない。
牙を剥く発作が来る度に、夜を越せないと思っていたのだ。
白い壁に白い天井、
隣は点滴。
そんな病室は懐かしくはあるものの
二度と帰りたくは無い。
8/2/2023, 1:10:13 PM