『揺れる木陰』
騒がしい街の音が、心の微細な声を掻き消す。 雑踏に紛れながらに煩い煩いとぼやく僕もまた、そのノイズの内訳に入る事実が、じんわりと苦しい。長く伸びるビル影を持ってしても、吹きつける熱風にはなんの歯もたたずにいる。
映画館に行こう。そう思い立ったのは、さっき同僚との話に出てきた、懐かしいアニメ映画の再上映があったから。熱くもなく、うるさくもなく、あの頃のノスタルジーに浸れるのなら、千円も二千円も、安いもんだ。
『お味はどちらになさいますか?』
塩味のポップコーン。フカフカの床、楽しげな声。そして、シアターに向かうにつれて増す静けさ。映画館の味がする。この不思議な匂い。他のどこでも得ることのできない感覚だ。そしてそれらを味わいながら、E‑32と書かれた席に座る。
広告の時間が、昔嫌いだった。SNSなんかをだらだら周遊すれば得られる情報だらけだからだ。だけれど社会人になった今、そんな時間もなく、他の映画に触れる機会が得られるのは大きい。
「……はじまる」
大きなスクリーンに映る、大きな大きな木。風に揺れる葉の音、ここまで風が吹いてくる気がした。ここは大きな木陰だ、大きな木を見ながら、薄暗い場所にいて、揺れる光を浴びているなら。ここは揺れる木陰の中。子供に戻るのだ。
7/18/2025, 3:09:18 AM