草臥れた偏屈屋

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どいつこいつも皆が同じことを言う。
「君なら大丈夫。」「ただ疲れているだけさ。」
いつまで私はそのままなの?いつまで疲れているの?前に進めないの?

あーあ、奇跡が起きないって知ってるからこそ縋っても意味がない。所詮この世は人の世。人生、生き残るか死ぬかの2択で、どう生きるかなんて考えられるのはごくわずかでさ、夢を語ってそれっぽくしてるだけで実現性なんて皆無なんだから。

「あるものを喜べ」って言われて、その喜びの根源を作り続けなきゃいけない責務を教えないのは何?その讃えられた労力に人生をかけなくてはいけないのか?

どうにかこうにか適当に生きている野郎が、急に私の横に並んで見下してくる。何を求めても、乾いた口で拙く喋る己がなんとも醜い。

何かが間違っていると知りながら、輝くゴミを作り出して妥協せよと求められた。そしたら、他人が仰け反りながら「君より努力しているものが居る」と言うんだ。比較なんてするなと語ったその偽善が憎いに決まっている。

動き続けなければならない。鞭を打ち込み続けなければならない。弱さなんて見せるな、相手に噛みつかれるだけだとさ。そうやって、そうやって私は理想を掲げて崖から落とされたんだ。君は笑ったな、「頑張れば満たせるはずだ」と。

何がなんだ。評論家どもめ、その気取った手振りで「お前の能力と命は対等だと」と最後に告げるんだ。誰もが救われる希望を囁いた者は、登壇してたら暴君だ。誰だって悪事を働ける、そうだろ?

では、なぜ私はここに立つ。同じ末路を辿りたいからか?それとも、己は違うと豪語しているのか。違う、決して違う。知的好奇心からだってそう願っても、裁判官の木槌が振るわれた。

どうやらそんな陳腐な決まり文句を誰も聞かないらしい。その上で、他人が居て初めて己の存在を知るってそうやってタップダンスしている。ああ、己の惨めさを知ったよ。

掲げるのは辞めようと思った。それじゃあ、せめても良い人間にはなりたい。私の変わらぬものを密やかに育み、これで良かったんだと思い込もう。完璧には程遠くとも人としての話だ。

本当は何かが足りないと分かっているが、もう数多く妥協してきたなら一つくらい変わりはしない。これ以上、誰にも見せなくても良い。誰にも証明しなくても良いのだ。

ああ、そうだ、これが私が欲しいものだった。己が己である確証だ。許しだ。


・・・


赦してくれるか。何もできなかった、この私を。赦してくれるか。もっと出来ることがあったはずだった。愚かな私を、どうか赦してくれ。

10/27/2025, 1:54:27 PM