【お題:二人だけの秘密】
『これは、二人だけの秘密にしてほしいんだけど』
この前置きは、今回も意味がなかったようだ。
「彼女ほしいの?じゃあ開発部の月葉ちゃんとかどうよ?最近彼氏と別れたらしいよ」
仲が良い、同性の同期の一人にしか私が彼氏と別れたことは話していないはずだが、なぜか他部署の課長の話のネタになっている。
「いやー、あの子地味だしデブスじゃないですかあ」
「そうかあ?新卒二年目だし若いだろ」
「あと僕、自分より身長高い女の子連れて歩くの無理なんすよね」
だいぶ下世話な会話の流れになってきて、居心地が悪くなり休憩室を出た。
というか、他部署とはいえ人の上に立つ立場の人間が、休憩室で社員のプライベートをベラベラと口にするのはどうかと思う。
世の中、他人を尊重しない人達が多すぎる。
信頼していた同期の口は軽いし、会社の偉い人のモラルはゼロだし、元彼は引くほど価値観の押しつけが酷かったし。
他人を信用して自分の『秘密』を共有するなんて、もうしない。
「ああ、ありがとう」
同じ部署の先輩が、閉まりかけのエレベーターのドア越しに見えたので、ついドアを開けてしまった。
さっきの休憩室で男性社員に心無い評価をいただいた直後で、人と、知り合いの男性と顔を合わせたくないと思っていたのに、よりにもよっていつも軽薄そうな、誰に対してもヘラヘラしている先輩と二人きりになってしまった。
「お疲れ様です」
心中は灰色どころか真っ黒だったが、なんとか形式的に会釈を返した。
「お疲れ様。そういや俺、来月転職するつもりなんだけどさあ」
「えっ」
先輩の脈絡のない爆弾発言に、思わず顔を見上げる。
「はは、びっくりだよねー。まだ課長にも部長にも言ってないし」
「えっ」
私だったら絶対に笑えないと思う話の状況で、先輩は相も変わらずヘラヘラしている。
この人、全く何を考えているのか分からない。
「それ、私に言っていい話ですか?」
「ん?いいから話したんだけど?」
「…先に上司とか他の人に言われたら、とか気にしないんですか?」
「ならないね」
ポーン、と到着音とともにエレベーターのドアが開く。
そのままオフィスへ向かい数歩進んだところで、ふと、
不思議そうな顔で先輩が振り返った。
「月葉さんってさ、よく気が回るなって思ってたけど、普段ずっと人のこと考えてんの?」
「別に普通だと思いますけど」
ぶはっ、と先輩は吹き出すように笑った。
思わず眉間に皺が寄る。
「ごめんごめん、馬鹿にするつもりはなかった。そんなしょぼくれた顔しないで」
しょぼくれていた訳ではなく、突然笑われたので何だこの人、の顔だったのだが、私の表情筋だとそう見えるらしい。
負い目を感じたのか、先輩は立ち止まって、自身のツーブロックの刈り上げをさすりながら、少し考えるように斜め上を見上げた後、私に目を合わせていつもより丁寧に話し始めた。
「俺は全然そんなこと考えないから、ちょっと驚いて。
だって、俺が転職するのも、上司の前に月葉さんにそれを話すのも、月葉さんが他の誰かに話すのも自由でしょ?」
「…そう、ですね…?」
言っていることは分かるが、あまりピンと来なくて歯切れが悪い返事になってしまった。
「でも、ええと、もし私が、先輩が転職を考えているって秘密を言いふらしたら、先輩は困りませんか?」
「うーん、上司になんか言われたら面倒だなとは思う。でも、どっちにしろ俺が転職するのは変わらないし。こんなの秘密でもなんでもないよ」
ガン、と頭をひどくぶつけたようなショックだった。
「秘密でも、なんでもない」
「そう。全部自分で抱えて、全部秘密にしてあれこれ悩むのってしんどいし、俺顔に出ちゃうから向いてなくて。
だから自分のやりたいことはやるし、思ってることは全部表に出す。人に何か言われても、自分も言いたいこと言ってるから気にしない。わざわざ秘密なんか作るより、この方がシンプルで好きだな」
心が、真っ黒から次々と、色彩を取り戻した。
あの会話をした日、帰り際に慌てた先輩に声をかけられた。
エレベーターで転職の話をした理由は、本人曰く、
『もうすぐ転職するから、ご飯に誘いたかったんだ』
『前から誘いたかったんだけど、彼氏がいるって聞いてたから流石に悪いかなって』
『でも、別れたらしいって休憩室で聞いて、今がチャンスだと思って』
とのことで、あまりにもストレートな誘い文句で、笑いながら二つ返事で了承した。
「律、今日の肉じゃがも美味いね。流石すぎる。あと10kg食べたい」
にこにこと、屈託のない笑顔で先輩が肉じゃがを頬張る。
あれから先輩と付き合い始めて一年が経ち、今は先輩のマンションに半同棲している。
相も変わらず、ストレートな愛情表現が止まらないので、少し仕返しの意味も込めて返事をした。
「ありがとう。あなたのためなら何でも作れちゃうかも」
「え、なに急に」
普段使わない返しをしたのが、よほど意外だったみたいだ。
「あなたが、思ってることは全部表に出した方がいいって教えてくれたから、真似するようにしたの」
そう言うと、先輩は顔を真っ赤にして目を逸らしながら、もにょもにょとこう言った。
「これは、二人だけの秘密にしとこうか」
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蛇足
前作に救いがなさすぎて、友人にも心配をかけたので
ハッピーエンドのアンサーのようなものを書きました。
ここまで読んでいただいて、私の作品が好きだなと思った方はこれより下へのスクロールはお勧めしません。
もう読んでしまった方はすみません。
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5/4/2024, 9:30:17 AM