hikari

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過ぎた日を思う

熱にうなされた。
私は幼い頃から病弱であった。
高齢出産故か、大きいと驚かれる扁桃腺のせいか、
はたまた全く別の原因があるのか、わからない。
とにかく病弱なのだ。
病弱に加えて、私は熱を出すと泣いてしまう。
普段は軽度の痛みや、ストレスに耐えうる我慢は苦ではないのに、熱を出すと周りが引くほど泣く。
心の奥底にしまい込んでいた不安のようなものが、爆発するのである。そして1人誰もいない空間に向かって泣きながら謝罪をする。
大の大人が、1人嗚咽を漏らしながら泣いている自分を俯瞰して見ている自分がいる。なんと哀れで滑稽で、情けないことか。熱が出ると自己嫌悪の真骨頂を味わう。
私は何に泣いているのか。
私は誰に謝罪しているのか。

そして、決まって、私は幼い頃の自分を思い出す。それは、夢か、夢でなくても思い出す。

思い出す自分はさまざまである。

さまざまであるが、
特に多いのは小学2年生のころ。

私は、時計が読めない子供だった。
どこかぼけーっとしていて、集中に欠けた感情のない子供だった。それでいて学習能力も他の同級生に比べて2、3年遅れていた印象がある。

私は時計が読めないことに加えて、九九も覚えられなかった。どことなく焦りは感じていたものの、時計が読めないことをなかなか言い出せなかった。
当時何故あそこまで飲み込みが悪かったのかいまだに分からない。今でもそこまで良くない。
それにもかかわらず、私の両親や家族は、私からは考えられないほどに優秀なのである。ここはかなり世知辛い部分である。
両親共に大学を主席で卒業し、現在は小難しい資格を肩書きに小難しい仕事をしている。そしてそれを真似するかのように、兄弟も皆素晴らしい大学を出て、難関資格に合格していた。
4人兄弟の末っ子として生まれた私は、母の腹の中で与えられるはずだった学力を全て上の3人に取られてしまったかのように間抜けだった。おまけに病弱。いやはや、どこで自信を持てば良いのか。
そんな家族に、「時計が読めないし、九九も覚えられない」と夕食の席で伝えた。
そこからは、まず地獄だった。
まず、なぜ時計が読めないのかを理解してもらえず、
両親は激怒した。その場で問題責めに会い、答えられなかったら怒鳴るの繰り返しで私は泣くことしかできなかった。

なんとなく、書いていて言い訳がましくてうんざりするが、その後毎日時計を読めるように必死だった感情が熱と共に蘇る。なんとか時計も読めるようになったし、九九も言えるようになったのは、随分と成長してから。

体が熱い。熱い、熱い、熱い。
私は気味悪く、誰もいない空間に謝罪し続ける。

1人で暮らす、私の今の家に時計はない。

熱にうなされる夜、私は過ぎた日に謝罪する。

10/6/2024, 4:07:30 PM