「涙色」は赤い。
この言葉を作った昔の人は、普通の涙ではなく、感も極まりに極まった、血涙の方を語源にしたからだそうだ。
催涙弾が降る街には、血の代わりに涙が流れる。
悲嘆にくれる血の涙ではなく、生理現象の透明な涙が、後から後から流れる。
この地は異教徒の地だった。
昔は帝国との貿易地であったこの地は、帝国の宗教が広まっていた。
帝国によって、広められていた。
しかし、この地の人々とこの地の風土が、帝国の宗教の教えを歪めていた。
この地は、帝国ともこの国ともつかない、奇妙な教えと宗教観とを、脈々と伝えていた。
そのため、この地は、帝国からもこの国からも見放され、いや、むしろ厄介なものとして、憎まれ、見捨てられていた。
その一つには、帝国は自国の宗教を、侵略や治国に利用していたことも影響しているのだろう。
ともかく、この地は、帝国にもこの国にも、異教徒の地として忌まれ、暴徒の地として恐れられた。
催涙弾が絶えず降るのも、そういう、国との緩やかな対立のためだった。
この地の人々は、神がこの責苦を救ってくれることを、切望していた。
信じていた。
「神の僕である人々が、血を流しているならば、神は必ず救いの御手をもって、人を救う」
「神の僕である人々が、邪教のために血を流しているならば、神は必ずその御手をもって、邪教を退け、我々に勝利をもたらす」
というような、教えがあるからだ。
しかし、この折、僕は考える。
我らが神は我々が血を流していれば、必ず僕たちを救ってくれるそうだ。
しかし、血でもなく、血涙でもない、透明な涙に対しては、手を差し伸べてくれるのだろうか。
僕たちが今なお流し続けている、透明な涙には、御手を差し伸べられないのではないか。
血の流れない苦しみに、御手を差し伸べてくださるのだろうか。
この地には、もう何十年も透明な涙が流れ続けている。
催涙弾が降る街には、赤い血の代わりに、透明な涙が流れるのだ。
そして、世間では「涙色」すら、赤いらしい。
1/16/2025, 10:44:26 PM