題 旅路の果てに
私は今日帰る。
故郷に。
海底都市に。
息の仕方が慣れるまでしんどいだろう。
地上の息の仕方は学習して慣れるまでやはりしんどかったから。
地上で出会った人たち、建物、文化、本、絵画、全てのものが私にとっての、発見で、素晴らしい経験で……。
もう行けることは無いかもしれない。
海底に住んでいる私たちの肺は、地上に適応するには、とてつもない負荷がかかるから。
私がこの先歳をとってしまったら、負荷には耐えられないはずだ。
だから、今まで見た大切な記録は、私が他の人に話して聞かせて、海底都市で取り入れられる事は取り入れて行きたいと思う。
アル……。
私は地上で出会った人の事を想う。
地上には、海底から上がってそのまま住み着いた一族が少ないものの存在する。
その一族の所で海底からの訪問者はお世話になるのだけど、そこで出会ったアルという元海底の民の子孫……。
もう記憶もないって言ってた。
だから、私はアルに沢山の海底の今を教えたんだ。
海藻が揺れて、さんごやクラゲが美しく漂う水のキラメキと共に繰り広げられる光景。
巻貝を砕いて固めて作ったキラキラした家。
息を止めるくらい美しい海の色。
海底は暗いけれど、私たちの都市は海底でも発光する石を発明して、それを沢山都市に置いているので、いつでも明るく輝いている。
寝る時はその為に暗い場所に移動して寝ることになるけれど。
石の光は明るく、暗くすることは難しいんだ。
それでも、その海底の美しさを映すためならば輝く石の意味は十二分にあって。
私は海底の美しさにいつも見とれて、瞳に焼き付けている。
海底で絵なんて書くことはできないけれどね。
だからこそ、地上のいろんな絵に感動したんだ。
光の美しさや、日の光、星の光、夕日の色合い……そしてそれを写真や絵に描く技術。
私は一つ一つに感動して、心が踊った。
アルは地上での沢山の事を教えて見せてくれた。
私の海底の話も楽しく聞いてくれた。
……時間が過ぎるのがあっという間だった。
いつまでも地上で過ごして、地上のことを聞いて、美しい光景をずっと見ていたいと思った。
アルとずっといたいなって……次第に思うようになっていた。
……だけど脳裏にチラつく。
馴染みのある美しい光景、波紋、ゆらめきが。
私の心を捉えて離さなかった。
地上は素晴らしいけれど、風は柔らかくフワッと心をほどくけれど、でも、やっぱり私は揺蕩う波のゆらめきが恋しかった。
海の底から見上げる光の色がプリズムみたいに変わる様が、くらげの柔らかい心を溶かすような踊りが……。
全てが私の故郷だった。
そう故郷なの。
だからこそ、やはり帰ることを選んだ。
アルは一緒にここでいようって言ってくれたけど……でもね。
アルも分かる。
きっと海底に来たらわかるよ。
懐かしく、そしてとてつもなく美しく感じるよ、と言った。
地上に慣れたアル達は頑張っても海底都市には来れない。
逆は大丈夫だけれど。
だから、もうアル達は故郷の海底に戻ることは出来ないんだ……。
私は故郷である海底都市を想いながらもう一度だけ地上を振り返る。
誰もいない朝に別れも告げずに出てきた。
早朝の風が少しだけ肌にひんやり感じる。
「さよなら」
もう来ることがない場所、そして会うことがない人々。
私は1人さよならの言葉をこぼすと、静かに海底へと体を沈めて行った。
2/1/2026, 4:02:58 AM