行きたくない会社への出勤の準備を整えて、俺は家を出る。
家を出て出迎えてくれるのは、暗闇の中できらめく人々の生活の光。
俺は見慣れた夜景を横目に駅へと向かう。
俺はいわゆる夜勤組というヤツだ。
24時間フル稼働の工場勤め。
その真夜中のシフトに入っている。
みんな嫌がるのだが、俺は自分から希望した。
夜型だし、深夜手当が出るからだ。
知人からは『大変じゃないか?』とよく言われるが、意外とそうでもない。
何事も慣れである。
それに友人も出来た
「こんばんは、夜野さん」
向かいから俺を呼ぶのは、古泉さん。
スーツが似合う、キャリアウーマンだ。
違う会社の同じ夜勤組で、何度も顔を合わせるうちに仲良くなった。
珍しい夜勤組同士だったからかもしれない。
彼女はいつも生気に溢れ、俺とは対照的な活動的なタイプ。
正直嫌いなタイプなのだが、古泉さんには不思議と嫌悪感を抱かなかった。
「こんばんは。
今日も元気そうですね」
「ははは、私はそれだけが取り柄なので」
「最近どうですか?」
「もう大変ですよ。
昨日なんて――」
なんて取り留めのない会話をする。
特に意味あるわけでもなく、必要性もない雑談……
駅に着くまでの短い会話だが、俺はいつも楽しみにしていた。
「ところで――」
一通り近況を話したところで、小泉さんの声のトーンが落ちる。
聞き耳を立てているヤツがいないかどうか、辺りを見渡す小泉さん。
これからが本題というわけだ。
「『デート』のほう、考えてくれました?」
真剣な顔で尋ねてくる小泉さん。
最近古泉さんは、俺を『デート』に誘う。
よっぽど俺と『デート』をしたいらしい。
だけど俺の答えは決まっている。
「残念ながら……」
「そうですか……」
小泉さんはがっくりと肩を落とす。
でもこのお誘いは受けるわけにはいかないのだ。
なぜなら――
「血を吸いたいのになあ……」
この小泉さん、吸血鬼だのだ。
なんで分かったかと言うと、普通に吸血鬼トークをしてくるから。
そして『デート』と言うのは、『一緒に人間の血を吸いに行こう』という意味である。
しかし……
「重ね重ね申し訳ない」
だが残念(?)なことに、俺はただの人間。
吸血なんて出来ない。
ではなぜ彼女は、俺を『デート』に誘うのか?
どういう訳か、小泉さんは俺の事を吸血鬼だと思っている。
もう一度言うが、俺は吸血鬼ではない。
ただの人間だ。
「理由を聞かせてもらえませんか?」
ここまで頑なに断ると疑いそうなものだが、小泉さんは少しも疑念を抱かないらしい。
どうしても納得できないと食い下がる。
「お気持ちは嬉しいのです。
ただ、そのお誘いを受け入れると私たちの関係が壊れそうな気がするのです」
俺は本心を吐露する。
「俺たちは、こうして短い間だけ会話をする仲……
俺は今のこの時間が好きです。
ですが『デート』に行くような深い仲になれば、今までのように会話できなくなる気がするのです」
なぜ小泉さんが、俺を吸血鬼だと思っているかは知らない。
だが、『デート』に行こうものなら、確実に俺が人間であることがバレる。
そうなれば、小泉さんの俺に対する態度は変わらざるを得ず、こうして話すことは出来なくなるだろう。
俺はそのことがたまらなく嫌だった。
「ですから、『デート』には一緒に行けません」
俺の心が罪悪感でいっぱいになる。
まるで告白を断っているみたいだ。
だけど、これからも小泉さんとの関係を続けるためにも、受け入れるわけにはいかないのだ。
『また落ち込まてしまうな』と俺は小泉さんの顔をみるが、意外なことに何やら思案顔だ。
彼女は顎に手を当てて何かを考えているようだった。
まさかただの人間であることがバレたか?
罪悪感から一転、焦燥感が俺の心を満たす。
「あ、そういうことか!」
小泉さんは顔の前で手を叩く。
裏切り者と糾弾されることを覚悟していたのだが、予想外なことに彼女は満面の笑みで俺を見た。
「夜野さん、もしかして自分が吸血鬼じゃないから断っているんですか?」
……
…………へ?
「やだなあ、いくら何でも吸血鬼と人間の区別はつきますよ」
小泉さんの言葉に、俺は放心する。
俺が人間だって知っていたの!?
い、今までの葛藤は何だったんだ。
「じゃあ『デート』っていうのは?」
「『デート』は『デート』ですよ。
一緒に夜の街を歩き、お互いの仲を深めます。
そして『デート』の最後、高い場所で綺麗な夜景を眺めながらお互いの血を吸うんです。
ふふ、ロマンチックな吸血に憧れていたんです」
デートだった。
普通のデートだった。
最期はキスじゃなくて吸血だけれど。
「誤解、解けましたかね?」
俺は頷く。
頷くしかなかった。
だって何もかも俺の勘違いだもの。
「それは良かった……
じゃあ、改めて答えを――
あっ」
小泉さんが驚きの声を上げる。
俺もつられて小泉さんの視線の方に目を向けると、そこには駅があった。
古泉さんには悪いが、ちょうど駅まで来れたことにホッとする。
今までの情報を処理できていないので、時間が欲しかったからだ。
「時間切れですか……
しかたありません、答えは次会ったときに聞かせてもらいます」
小泉さんそう言って、小泉さんが俺から離れようとして――
何かを思いついたのか、俺の顔に至近距離まで近づく。
「期待してますからね」
彼女は俺の耳元でささやいて小泉さんは暗闇に消える。
俺は呆気にとられ、小泉さんが消えた道を眺めるのだった。
9/19/2024, 1:53:56 PM