sairo

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春の嵐が吹き抜けた。
ここで生きた者たちが皆去って、いくつ季節が過ぎただろう。
暑い夏が過ぎ、秋が訪れ。長い冬が終わり、また緑が芽吹いた。
だがそれだけだ。命は芽吹けど、崩れた家々に住む者は誰もいない。
かつて村の広間だった場所に立ち、辺りを見渡した。
風が葉を揺する音や鳥の囀りは聞こえるが、それでも静かだと思ってしまうのは生きている音がしないからだろうか。

「随分と山に呑まれましたね」

穏やかな声と共に、隣に風が降り立った。

「最後の子たちは、ちゃあんと送り届けましたよ」
「そうか」

呟いて、最後の者が住んでいた家へと視線を向けた。
草の生い茂った家。他の家々よりは形を留めてはいるものの、遠くない先に他と同じように崩れてしまうのだろう。
そっと目を伏せた。終わりは最初から理解していたというのに、何故空しいと感じるのか。
小さく息を吐く。
風が不思議そうに首を傾げ、こちらに視線を向けた。

「終わることが寂しいのですか?」

その問いに、無言で首を振る。

「では、消えることが怖いのですか?」

思わず、笑みが溢れた。
消えることに対して思うことは何もない。況してや、怖いなどあるはずがなかった。
風に視線を向ける。真っすぐで煌めく目を見つめながら、心の内に渦巻く疑問を口にした。

「人間は何故、生きるのだろうか」

きょとんと、無垢な目が瞬いた。
眉を寄せ、首を傾げる。その表情は問いの意図が理解できないと困惑しているようであった。

「命は等しく生きているものですよ?人間だろうと、鳥や木だろうと、皆命があるから生きているのです」

風の言葉は正しい。命はそういうものなのだから、疑問に思うことの方がおかしいのだろう。
それを理解しながらも何故と考えてしまうのは、永くこの地で彼らの生きる姿を見てきたからだ。

「人間にとって、生きるとは喜ばしいことだ」

いつの時代も、子の誕生は喜ぶべきことだった。家族だけでなく、ここに住まう者全てが新たな命の誕生を喜び祝っていた。

「だが、生きるとは悲しいことでもあった」

命の終わりを誰もが悲しんだ。
いつだったか。溺れた子を助けようと川に飛び込んだ子が、そのまま戻らなかったことがあった。
ちょうど夏祭りの時期。賑わう声は悲鳴と嘆きに変わり、数日が過ぎても暗い影を落としていた。

「今まで見てきた人間の生は、様々な感情を宿していた。時に希望となり、絶望にすらなった」

人間以外には持ちえない想いの数々。
夏祭りで失った生は、周囲にいくつかの影響を与えた。
助けられた子と、親と、そして友と。
全てが別々の道を歩んだ。交わることのなかった彼らの行く末は、今も鮮明に思い出すことができる。
強く生きたのは、助けられた子。周りの心ない言葉に折れることはなく真っすぐに成長し、ここを出て行った。
親は耐えられなかった。いくつかの季節を一人きりで気丈に生きていたが、ある春の終わりに、子を追って流れていってしまった。
友は夢現に約束を交わしたらしい。最後までこの地を離れず、迎えに来た子と共に風の案内で旅立っていった。
同じ命でありながら、全く異なる生。
彼らは何を思い、その生に意味を見出していたのだろうか。

「難しい話です」

風は困ったように笑う。だがその目は穏やかで、優しい色を浮かべていた。

「とても難しい。誰もが違う生き方をしているのだから、生きる意味が違うのは当然のこと。何故生きるのかという問いに一つを答えることなんてできませんよ」
「それもそうだな」

一つ頷いて、もう一度辺りに視線を巡らせる。
草木が生い茂り、人間が生きた痕跡が消えていく。残るものは何もない。
静かな終わりを、この地を離れていった者たちが見たら何を思うのか。
人間の営みを見てはいたが、人間ではない己には分からない。

「まだ、ここにいるのですか?」

風が問う。
確かに、己の役割は終わった。生きる者がいなくなった瞬間に、村は終わってしまったのだ。

「ここにいるよ」

空を仰ぎ、そう答えた。
この地は、己自身だ。村という形を失っても、それは変わらない。
いずれ村の痕跡が全て山に呑まれた時、己もまた呑まれてしまうのだろう。その時までは、ここで生きた者たちとの記憶を辿って歩くのも悪くはない。

「そうですか……」

小さな呟き。どこか寂しげに聞こえたのは、風との別れを己が惜しんでいるからに違いない。
風がくるりと円を描いた。柔らかく空へと舞い上がっていく。
風が葉を揺する。それは別れの合図のようにも、穏やかな眠りへの子守歌のようにも聞こえた。

「さようなら。最後の子たちは、きっと次の生でも一緒にいるのでしょう。約束が生きる意味になっていたのだから、最後に交わした約束も果たすに違いありません」
「あぁ、さようならだ。願うことならばあの子たちの次の生にも、優しい風を吹かせてあげてくれ」

答えの代わりに、一際強く風が吹いた。
花が散る。ふわりと甘い香りを残しながら、空高く風と共に舞い上がる。

「――行ってしまったな」

風が去った後、辺りに散る鮮やかな色の花びらを見ながら呟いた。
小さく笑みを浮かべ、目を閉じる。
聞こえるのは遠ざかる風の音。鳥の囀り。それは次第に、かつてここで生きた子らの
笑う声へと変わっていく。
目を開けた。
視界に広がる、在りし日々の幻。
挨拶を交わし、談笑する影。幼子が駆け回り、大人たちが田畑の仕事に精を出す。
それは決して特別ではない、ここで生きた者たちの日常の記憶だった。

「皆、生きていた。それぞれの意志で、思いを抱いて生きてきた」

一人として同じではない。
それは何よりも尊いことに見えて、眩しさに目を細めた。

ゆっくりと歩き出す。
声や音で溢れる周囲を懐かしみながら、ここではない遠い地で生きる子らを思い、幸せであれと密かに願った。

4/28/2026, 4:18:41 PM