「あーあ…まただぁ」
俺の双子の兄貴は、毎日雑巾を片手に放課後の教室に訪れる。そこには誰もいない。兄貴はただ自分の机まで行き、あらかじめ濡らしていた雑巾で机を擦る。
「お前も見てるだけなら手伝ってくれよ。アイツら最近油性ペンで書くんだ。消しにくいったらない」
教室の隅にかけてあった雑巾を一枚手に取り、兄貴が濡らした部分を軽く擦る。そこにあるのは、数々の罵詈雑言。馬鹿とか、ブスとか、キモいとか、死ねとか。親ナシ、とか。それはそれは御丁寧に書かれている。
全然消えない。いつものことだが、今日は余計に腹立たしい。
「何でやられっぱなしなんだよ。少しはやり返せ」
「それじゃ同レベルだろ?そんなことするより、なんてことない顔して過ごしてる方が、あっちにとっても不愉快なはずだぜ」
「……」
兄貴の、こういう考え方が嫌いだ。我慢したって、受けるダメージは兄貴の方が大きい。アイツらのクソみたいな火に油を注ぐかもしれない。そうなれば、兄貴はもっと酷い目に遭う。
「お前は賢く生きろよー。俺は手遅れだけど、お前はちゃんと周りの人間を選ぶのが上手いから」
そんなことを言っているうちに消えていく、雑巾の下の醜い言葉たち。その速さに、兄貴はこんな意味のわからない行動にまで慣れてしまっているのだと、たまらなく不快な気持ちを覚える。
「…なぁ、俺、兄貴が泣いてるとこ見たことねえんだけど」
「いやいや、結構泣いてるぞ。前アルバム見た時もあったろ、俺の泣いてる写真」
「ふざけんな、それ俺だからな。はぐらかすんじゃねえ」
はは、と乾いた笑い声が響く。その目は笑っていない。
「少しくらい、泣けよ」
「…泣かないよ。父さんと母さんが死んで、じいちゃんやばあちゃんに引き取ってもらえたけど、二人とも体が悪い。俺の下にはお前も含めて三人いる。俺は一番上の兄貴なんだ。ただでさえ不安な生活の中で、その俺が涙なんか見せられない」
最後の仕上げと言わんばかりに、兄貴はサッと机を吹き上げた。
「よし、これでOKだ。帰ろ「ふざけんなよ」…何がだよ」
「ふざけた見解なんだよ、一丁前に一人だけ大人みたいなツラしてんじゃねえ。俺はお前の弟だけど、双子だ。同い年だ。自分一人で抱え込むのも大概にしろドアホ」
「おいおい…そこまで言われたら兄ちゃん泣くぞ?」
「泣けよ」
俺は兄貴の手から雑巾を奪い取り、自分のものも一緒に主犯格の机に投げつけた。
「兄貴が泣いてる間、俺は泣かないでいてやる。アイツらに何か言われたら、俺が言い返してやる。お前の苦労も悲しみも、俺と分ければいい。それが双子だろ」
兄貴は投げつけられた雑巾を見つめた。その目からは徐々に、少しずつ、一滴一滴、涙が溢れる。
「やっと泣いた。兄貴のチャーミングポイントの涙袋も、これで少しは萎みそうだな」
「涙袋に涙なんか溜まってない…」
「知ってるわ」
涙を流しながら笑う兄貴の声は、さっきより潤っていた。
3/17/2023, 11:25:59 AM