郡司

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誰よりも? 誰よりも、誰よりも…
むぅん、この比較の言いまわしには、子どもの頃から違和感があった。年取った今の感覚では、「誰よりも」という前段に「~の中では」などと「ローカルな集団の条件を提示」せずに使うことは無い。

実際、人間は個々のありようが違う。比較するならば「どの点に関して」比較するのかを示さなければ、「流れゆきて消える」ケムリのように「根無し草な考え」に終始してしまう感がある。

日本の昔話に、ねずみの娘をどこに嫁に出すかでひと悶着するものがある。誰よりも強いものへ嫁に出そうと、やれ太陽さんだ雨雲さんだ、やっぱり風さんだ、いやいや天気に揺らがぬ蔵さんだと続き、一周回って“やっぱりねずみだ”と落ち着く。

太陽さんは「雲にかかられちゃ照らせない」
雨雲さんは「風に吹かれちゃ居られない」
風さんは「どんなに吹こうが蔵は飛ばせない」
蔵さんは「ねずみに齧られちゃ穴があく」…という流れなんだが、さて、この理屈には抜け落ちてるものがある。
太陽さんが照らし、雨雲さんが雨を降らせ、風さんが太陽さんの光と雨雲さんの雨の巡りを起こさなければ、食べ物は生育できない。蔵を建てて食べ物を集める人間が居ると、ねずみは楽々と食べることができる…結局、生けるものとあらゆるものとが、みんなで「命をつなぐもの」を育て運んでいる。この中には「必要不可欠な者」ばかりで「誰よりも強い者」など、何処にも居ない。
まあ、昔話だから、この物語が語られ始めた頃は、そんな本質は「当然の常識」で、いちいち語る必要もなかったのかもしれない。

人間の社会システムも、この「巡り」が無いとたちまち瓦解する。みんな生きものだから。社会システムに疲れてしまうとき、人間は自然の中へ自分を置いてリフレッシュできたりもする。

この惑星での「総合性」の前では、「誰よりも」は幻想だ。

2/17/2024, 2:41:19 AM