ナナシ

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あれは私がまだ若く…青春、晩春とでも申せばよろしいかしらね。私、とっても遅い初恋をしたのよ。初恋なのかしら、とにかく、純粋で、憬れとも幼い独占欲ともつかない気持ちを抱いていたの。

彼女の品の良いオリーブのアイシャドウに、目尻にチョイ、と僅かに煌めくパールを見つけて1人、胸をときめかせておりました。
素敵、いつか真似しても良いかしら、と心の鍵付きのメモに留めておくのです、この魅力的なひとから学べることはとても多かったから。

目元と同じく、まじまじと見ないと気がつかない程度のお洒落とこだわりをたくさん仕込んでいる方でした。

コツコツと机の上を踊る指先は、夜直の森の色、その細い指先で一定のリズムを刻んでいました。ゆったりと刻まれるそれはメトロノームのようで、彼女の研究室でこの音を聞けるのが私の楽しみの1つであったのです。

彼女が古物商からまけて貰ったと、案外豪快に笑ってクシャリと顔を緩ませて………それがとってもかわゆく思えたの。

そう話していた紫檀の机の詰まった木の音は、コン、コンという柔らかく鈍い音を小さく響かせていてね、彼女は思考中、それもとびきり集中しているときだけこの音を出すんです、私はその音にこっそりと耳を傾ける時間が好きでした………

うつくしいあのひとが目を伏せて、
思考の海に浸っているのを。
彼女の指先へ、
世界が静かに収束していくようなその時間を。

私はいつまでも、いつまでも見つめていたかったのです。


あのひとは今、どうしているのかしらね。
私の耳の奥には、ずうっと、あの音がこびりついて離れないというのに。

#sweet memores

5/18/2026, 1:28:05 AM