逆井朔

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お題:世界の終わりに君と
 得てして大抵のことは、始めるのは難しいけれど、終わるのは容易いものだと個人的には思う。
 この世の始まりは本当に奇跡的なものだったらしい。洗濯機の渦の中に時計のパーツを投げ入れて、時計が組み立てられるほどの確率だとか聞いたことがある。だから、平穏な日々が続いてきたのもある意味、薄氷上を歩くように奇跡的な日々の連続だったのかもしれない。
「なーんか、今日が最後って気がせーへんなぁ」
 幼馴染の日比野祭(ひびの まつり)がぼんやり空を見上げて言った。
「ほんまやな。普段の一日と何も変わらへんやん」
「なんや隕石が落ちてくるとか聞いたけど、あれ何時頃やったっけ」
「夕方の六時半頃やったかなー」
「えー、サザエさん観られへんやん」
「せやな、じゃんけんしたかったわ。
 サザエさん強すぎて滅多に勝てへんかったし、最期くらい勝って終わりたかったなぁ」
「まぁ、そもそもテレビの放送自体最近ほとんどやってへんしなぁ」
 今日でこの世が終わると報道されてから、世界中が荒んでいる。
 テレビ番組もほとんどまともに作られなくなったし、新聞もページ数がかなり減っている。皆、まともに働くのが馬鹿馬鹿しくなったらしい。
 あちこちのお店も大体開店休業というか、閉店に近い感じだ。電車はダイヤ通りには絶対来ないし、学校も殆ど先生は来ていないから、それぞれ思い思いに好きなことをやっている。
 私も祭も、学校まで本来なら電車で通っていたのだけれど、今日はたらたら時間をかけての徒歩通学を選んだ。
 日曜でも学校に自由に入れるのは、生徒思いの先生が奇跡的に私たちの学校にはいて、職員室に常駐しているからだ。
 小林先生はラインで生徒たちに「最終日に学校に来たい奴は好きに来い。職員室の茶菓子と茶が余ってるからそれ目当てに来てもいいぞ」とメッセージをくれた。飲み食い目当てなら先着30名くらいまで、俺は9〜17時までいるぞ、とも。
 担任の先生ではなく、私たちのクラスの数学を担当していた人だ。担任の加山先生に比べたら接点は少なかったのに、言葉の端々にさりげない優しさや思いやりが滲んでいて、好ましく感じていた先生の一人だった。
「瑞穂(みずほ)、この道で合うてるか?」
「ググれカス」
「ふっる! そんなん死語通り越して最早ミイラになってる言葉やろ」
 けらけらと軽快に祭が笑い飛ばした。
「せやな。
 ウチもリアルで初めて使うたわ。
 まあええやん、死語もたまには使ってやらんと可哀想やし」
「何やそれ」
 スマホのアプリは軒並み(アップデートはされないままではあるが)一応まともに使えていて、地図アプリの導きによって私たちは無事目的地へと辿り着いた。こういう状況下においては、人間よりも寧ろよほど、機械の方が役に立つのかもしれない。
 人間には感情というものがある。
 機械ならどんな時でも淡々と働き続けることができるが、人間は希望を抱くことができる分、どうにもならない状況に陥ると、その反動かのように、深く絶望することもできるのだ。
 今がまさにその時で、人々は本当に勝手気ままにふるまっている。
 享楽的に過ごしてこの世の終わりを心地よいまどろみの中で迎えようとする者もいれば、終わりを待てずに一足先に自ら世を去る者もいる。それだけに限らず、謎の新興宗教に身を置いてこの世の終わりの果てに新たな世界に転生を果たそうと試みる者もいるし、隕石に壊されるくらいなら、と平穏な人生をかなぐり捨てて自暴自棄に他人を巻き込む不逞の輩もいる。
 心理テストで「もしもこの世が終わるなら、貴方は最後に何をする?」と昔友人に問われたことを今更になってふと思い出した。私は有り金を全部使ってやりたかったことをやり尽くす、と答えたものである。
 いやはや、こういうあり得ないほど追い詰められた状況になると、人間の本性が出るよなぁ。明日以降の人生が存在しないのだと突きつけられたことによって、倫理観や常識がぶち壊されて、その陰に日頃隠していた願望が露わになったのだろう。
 地域によっては暴漢や通り魔が頻繁に出没するところもあるらしい。SNSにそういう情報が散見された。
 私たちの住む辺りはほどよく田舎で顔を知らない人が歩けばすぐ気づけるくらいには皆互いを知り尽くしているので、外出をしてもそういう危険に遭遇するリスクが低いのがありがたいところだった。おかげで、近場であれば、行きたいところに自由に出かけられる。
「祭、なんか食べたいものとかあらへん?」
「なんやねん唐突に」
 祭が胡乱な者を見る眼差しをこちらに向けている。失礼な奴ちゃな。
「ほら、宵越しの銭は持たない、って言うやん? 有り金使って最期にいい思いしとこうかなーって」
 辺りの景色を見納めとばかりにじっくり眺めて、子どもの頃よく二人で遊んだ公園に寄り道したりして学校に辿り着いたので、残念ながら先生の言っていた先着30名の枠からは漏れてしまっていた。
 そろそろお腹の虫も騒ぐ時間帯である。
「さよか。
 にしても瑞穂、お前いつから江戸っ子になったんや? 関西の誇りはどないしたん」
「そんなん別にどうでもええわ。
 そないなこと言うなら何も奢ったらへんで」
「瑞穂に奢られんでも、俺もそれなりに持ってんで」
「ほんなら二人の有り金合わせたら何でもできそうやなぁ」
「まぁそれも、店がやってればの話やけどな」
「せやなぁ」
 少なくとも、学食は随分前から機能していなかった。校内の自動販売機も当然ながら軒並み全滅である。
 金は普遍的な価値を持つ資産だとか親が前に言っていた気がするけれど、この世の終わりに至ってはその価値もきっと形無しなのだろう。専門家などに調べてもらった訳ではないから本当のところは分からないけれど、少なくとも、お金をいくら持っていても使いどころが簡単には見つけられないのだから、いわんや金をや、というところである。
 普段なら使われていない屋上も、この世の終わりを迎えるにあたり解禁になっていた。その恩恵に与って街並みを味わっている私たちはかなり真っ当な人間だと思う。中にはここから飛び降りた子や先生もいるのだから。
 まだ太陽は私たちの真上にある。けれど、じりじりと眩しい日差しを避けるように、二人して給水塔の陰に隠れて僅かばかりの涼をとっていた。
「なぁ瑞穂。今更やけど、ほんまにええんか?」
「何がや」
「地球最後の日やろ。やりたいこととか無いんか? 会いたい相手もおらんのか?」
 隣で不思議そうに目を細める祭の背を軽く音を立てて叩く。
「そんなんお互い様や。祭こそどないなん」
「そう言われたら、まぁ俺も上手いこと言われへんなぁ」
「せやろ」
 今日が最期の一日だということを、目の前を飛んでいく烏は知っているのだろうか。悠々と、気持ちよさそうに風を切って青空を泳いでいる。
「まぁ、でも」
 遠くの山を眺めていた祭が、くるりとこちらを向いたので、私も空から彼へと目を移した。
「最期になるからこそ、瑞穂といつもの日常を送って、あぁ、今日もええ日やったなぁって終わりたいなぁとは思っとるよ」
 ぐっ、と言葉にならない思いが込み上げてきて、思わず咳き込んだ。
 そうだった。私の幼馴染は時折、こんな風に無自覚で人をたらすところがあるのだ。
 この世の終わりのカウントダウンが始まってからは会える相手がぐっと減ったからたぶらかされる人は減っていたけれど、往時はそれこそ行く先々で誰も彼もを魅了していたものであった。
「最期の日でもブレないなぁ、祭は」
 いっそ感心してしまう。
「最期だからこそ、や。どうせなら、気持ちよくあの世に行きたいしな。
 ここで変にヤケになって、人殺しでもしてみぃ。地獄行き確定やんか」
「この世が滅びた先に、あの世なんてあるんやろか」
「身も蓋もないこと言いなや。
 信じる者は何とやら、言うやろ。要は気の持ちようやで」
「さよか」
「全て無ぅなってまうと考えたら、なんや無性に当たり前が恋しくなってな。せやから瑞穂と一緒にいたいんや」
 またさらりと、とんでもないことを言う幼馴染である。
「もうええわ」
 無性に気恥ずかしくなって、思いきり祭の後頭部をチョップした。
「そんなん言うたらウチもやし」
 口の中でもごもごと呟くように口にすると、ごまかすように大きく伸びをした。
 あと何時間彼の隣に当たり前のようにいられるだろう。腕時計や壁の時計、スマホの時計は敢えて見ていなかった。
 最後の瞬間まで、彼とくだらない話をしていたい。けらけら笑って、できれば美味しいものを食べて、ああ満ち足りた一日だったと振り返って終わりたい。
 終わりよければ全てよし。そういう風に人生を締めくくれたら、それって最高だ。



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執筆時間…1時間半くらい
職場の昼休憩で冒頭の文章をざっと書き、帰宅後に肉付けした。

6/8/2024, 3:21:28 AM