数年前、僕はハムスターを飼っていた
仕事が終わり帰宅すると
家族が総出でパチンコ屋へ出掛けた後の
真っ暗な部屋の中で
彼が一生懸命に回し車を回している音だけが響いていた
僕はそれを聴くと安心し
ゲージ代わりの水槽にぴったりと顔をつけ
仕事の愚痴などをひっそりと彼だけに漏らした
彼は僕の言葉の意味を理解こそ出来なかったろうに
僕の顔の前から離れようとはしなかった
僕は安心してこっそり泣いたものだった
僕は彼を飼うにあたり心に決めていたことがあった
それは彼を鳴かせるような事はしない、という事だった
ハムスターが鳴くのは一般的に威嚇の時なので
彼が鳴いてしまうほど傷つけるようなことは
したくはなかったのだ
しかし事件は起きた
歳をとり、歯が悪くなった彼のために
ハムスター用のチュールを与えていた時だった
突然、何処からかガラス面を指で擦ったときのような
キュ、キュ、という音が聞こえてきたのだ
耳を澄まして音の出所を探してみると
彼の小さな体からするではないか!
僕は慌てふためいた。何故?怖がらせた?
思わずYouTubeで「ハムスター 鳴き声」と検索し
ヒットした動画のサムネイルを見て僕は目を疑った
そこには
『ハムスターが心から喜んでいるときの声!』
とあったのだ
その動画を再生してみると、たった今聴いた音と
殆ど同じキュ、キュ、という声を発するハムスターの動画が流れ始めた
僕は安堵した。彼は何も知らない顔で僕を見ていた。
その時初めて、ハムスターが鳴くのは威嚇の時だけではないと知ったのだった
それからも彼は、一緒に遊んだり手に乗せたりすると
たまに例の声を出してくれたので
僕はたまらなく彼が愛おしくなった
手のひらに収まるほどの小さな命と
心を通わせている感覚が心から嬉しかった
しかし彼は星になった。老衰だった。
その日はなんとなく朝からBUMP OF CHICKENの
「宝石になった日」を聴いていた日だった
あまりにも出来すぎている、と思ったのを覚えている
彼を庭に埋めた後も
僕はしばらく彼の元から動けなかった
なんとか部屋へ戻っても
毛布に包まって泣くだけだった
残酷すぎる、と思った
キュ、キュ、という声がもう聴けないことや
掌の中の熱や彼に染みついたチュールの匂いも
もう嗅ぐ事はできないと理解した時
もう僕は彼と出会う前には戻れないのだと悟った
それから一ヶ月ほど経った日
いつものように彼の元へ手を合わせに行くと
見たこともない小さなオレンジ色の花が咲いていた
それはあまりに鮮やかな色で見つめてくるので
僕はどうしても気になって調べてみると
「コウリンタンポポ」であることが判った
近所に咲いているのも見たことがなかったので
おそらく鳥が運んできたのだろうと頭では判っていても
僕にはどうしても彼からの贈り物としか思えなかった
彼が亡くなって数年経つが
あれからコウリンタンポポは徐々に数を増やし
今では暖かくなると彼の周り一体がオレンジ色に染まる
僕は毎年その花を観ると
彼とまた出会ったような気持ちになるのだ
2/24/2023, 1:29:31 PM