一年前の私は何をしていたか、と問われれば、まあ、遊んでいた。
受験生という肩書きは持っていた。持っていたが、それはちょうど棚の奥に仕舞われたままの辞書のようなもので、あることは確かだが、誰も手に取らない。私の勉強机は常に清潔だった。参考書を積んでいないのだから当然だが、その清潔さだけが、なぜか妙に誇らしかった。磨かれていない剣ほど錆びない、とでも思っていたのかもしれない。使っていないのだから当たり前だ。
友人と駄弁り、夜更かしをして、翌朝けろりとした顔で登校した。罪悪感が全くなかったとは言わない。あった。ただ、それはいつも夜の十一時ごろに訪れて、朝になると消えていた。そういう種類の罪悪感は、持っていないのと大差ない。
そうして迎えた合格通知は、いまでも少し腑に落ちない。不恰好というほかない。努力の神様とやらが、うっかり手違いで押印したとしか思えない。思えないが、まあ、結果は結果だ。あちらの事情は知らないが、こちらとしては受け取るしかない。
振り返れば、私の人生はいつもこの調子だ。力まず、焦らず、なんとなくで通り抜けてしまう。これを運と呼ぶのは少し癪で、才能と呼ぶのはもっと恥ずかしい。だから名前をつけないことにしている。名前をつければ、その実体と向き合わなければならなくなる。
ただ、ここに努力さえ伴えば、と思うことはある。努力があれば、と続けようとして、毎回そこで止まる。続きが怖いのか、面倒なのか、自分でもよくわからない。おそらく両方だろう。
私は自分のことが好きではない。うまく説明が難しいのだが、才能を持て余したまま消えていく人間を眺めるときの、あのやるせなさに少し似ている。自分に才能があるかどうかは、まあ、横に置いておくとして。ただ、なんとなく輝けるはずのものが、なんとなく曇ったままでいる。そういう感じ、とでも言おうか。
ああ、嫌だ嫌だ。でも今日も、それなりに生きている。
そういえば、この話はさらに一年前のことだ。今の私がどうかといえば、うん、訊かないでほしい。
5/9/2026, 5:42:53 AM