日に焼けたページをめくると、懐かしいにおいがした。
夕焼け空の下、手を引かれて歩いた。あの日のにおい。
久しぶりに実家に帰ってきたのは祖父の遺品整理の手伝いのためだった。
95歳。最後まで朗らかで素敵な人だった。
実家を出てからは年末やお盆といった節目に少しだけ顔を合わせる程度で。つい最近も、年始に家族みんなで食卓を囲んだばかり。
だから、突然の報に心が追いついていなかった。
こうしている今だって。そこの襖が開いて。
「おうい」
そう声が飛んでくるのではないか、とさえ思う。
祖父の部屋に入ったのは、いつ以来だろう。
片づけはだいぶ進んでいて、もう部屋には本棚と作業机くらいしか残っていない。
手先が器用で何かを作るのが得意な人だった。よく作っていたのは竹細工だ。日に焼けた、大きな手。それが驚くほど繊細な手つきで、新たな形を織り上げていく。それを見るのが好きだった。ネコやウサギといった動物から、かっこいい飛行機まで。祖父はなんでも作ってくれた。たくさんの作品をもらったけれど、それらはもうどこにも残っていない。
一つくらい取っておけばよかった。
作り方を教わっておけばよかった。
もう、できないんだ。
それを実感した途端。途方もない気持ちにおそわれる。
この先の人生で、わたしはもう二度と、祖父に会うことはできないのだ。
力が抜ける。その場に座り込む。
鋭い西日が窓から差し込む。広い部屋の一カ所だけ、畳の擦れた場所を照らす。作業机の前、祖父がよく座っていた場所だ。
祖父の形跡をたどるように。わたしはいつのまにかその場所に正座していた。作業机の引き出しを開く。中には、ぼろぼろになったノートが一冊。ページをめくる。几帳面な祖父の字で記されたそれは、どうやら日記のようだ。
ふと、あの日の記憶がよみがえった。
竹で編まれた飛行機を右手に、左手は祖父の掌と繋いで。並んで歩いた夕暮れの土手。
欲しいおもちゃを買ってもらえなくて、拗ねたわたしに祖父がプレゼントをくれたのだ。本当はお人形がよかったけれど。世界に一つしかない飛行機が、そのときは何よりも嬉しかった。
祖父はわらっていた。わたしもわらっていた。大きな手の、ごつごつした優しさに包まれて。
なんてことのない、けれど満ち足りた、掛け替えのない思い出。飛行機は壊れてしまったけれど、あの日感じた温もりは、変わらずここに残っている。
ノートのページをそっと閉じる。
日記にはきっと、祖父の色んな思いが。嬉しかったこと、悲しかったこと。ゆるせないもの、大切にしていたもの。きっとすべてが記されている。
祖父のことをもっと知りたいと思う。
けれど、この日記はそのまま、閉まっておくことにする。
あの日、二人で夕焼けの道を歩いた。
それだけで、充分だった。
引き出しを戻し、立ち上がる。
誰のものでもない部屋にオレンジ色が満ちている。
背中に残る夕日の熱。それはどこか、あの日の手のひらの温かさに似ていた。
【閉ざされた日記】
1/19/2026, 1:10:04 PM