午後の透明な光を背に、彼女は一冊の本を差し出す。
『この本を読めばね。心が豊かになる。そして視野が広がって世界の彩度が上がるんだ』
慈悲を与えるような微笑み。鼓膜を揺らす声は柔らかで、愛を注がれるように満たされる。
ただ、その言葉につられるべきか悩んだのは、四十分程で読み終えそうな薄い本に価値があるとは思えなかったからだ。表紙の男性は寄り添いながら頬を染めて、気恥ずかさを誤魔化すように笑い合う。気になったのは、何故か二人は濡れた瞳をしていたから。その理由を知りたくてページを捲ってしまったのがきっと純粋な自身の最後の姿だ。
溢れるような劣情だった。野獣のように獰猛で、綱渡りをするような恋の駆け引き。視野は狭くなっていき、溺れるように夢中になって本の世界へと沈んでいく。気づけば最後のページまで辿り着き、余韻を引き摺ったまま表紙からまた何度も読み直す。
生活は性活へと変貌し、汗と色香の迸る言葉に頭は塗り替えられてしまった。朝とともに目を滑らせるように悦びを求め人間観察に没頭。夜になるとゆだれをたらして本の世界に入り浸る。増え続ける本は自分の性への渇望を体現していた。
/ 好きな本
6/15/2023, 5:32:20 PM