嫌な事がある日は高確率で雨が降る。
私の中でそんな定義が出来るほど、雨の日に良い思い出はなかった。
バイト終わりに急に降り出した雨。酷くざわつく胸を抑えながら帰宅したが、やっぱり帰らなければ良かったと後悔する。
扉越しでも分かるくらい喧嘩している両親。怒鳴り声の応酬の合間にガラスが砕ける音も聞こえる。
今日は物まで投げているみたいだから、相当機嫌が悪いようだ。
私は気づかれないように2階にある自室へと戻り、貴重品と明日必要な教科書などをカバンに詰めて雨除け用の袋でバッグをもう一度包むと、未だに怒鳴り続けている両親から物理的に離れるためにまた家を出た。
ずぶ濡れになりながら当て所なく彷徨う私を、周りの大人達は冷めた目で見つめてくる。
それはそうだろう。
こんな雨の中ずぶ濡れで歩いてる奴なんて私くらいなものだ。家に帰った時に傘でも取ってくれば良かったが、音でバレそうだったし一刻を争う事態だったのでそこまで気が回らなかった。
本当にこれからどうしようかと悩んでいると、いきなり冷たい雨粒が遮られる。上を向くと傘が差し出されていて、驚いて振り向こうとしたら声をかけられた。
「こんな時間に何やってんだ。しかもずぶ濡れじゃねぇか」
聞き慣れた声に、少し安心しつつ私は答える。
「バイトから帰ったら、両親が割とヤバめの喧嘩してたから逃げてきた。行くとこないから泊めてくれない?」
そう言いつつ彼の方に顔を向けると、渋い顔した彼がそこにいて⋯⋯これは駄目かなって思ってたら、溜息一つ吐くと「⋯⋯早くこい」って言ってくれ、何とか居場所の確保に成功した。
「ありがとう、助かるよ」
それだけ伝えると「ん」と短い返事が帰ってきたが、それ以降会話はなかった。
雨の中ずぶ濡れの私を傘に入れながら歩いて、辿り着いた彼の家。
玄関に入ると「ちょっと待ってろ」とだけ言って先に部屋に入っていった。
待つこと数分。タオルと籠を持って帰ってきた彼は私の頭をわしゃわしゃと拭きながら言う。
「とりあえずブレザーとか靴下とか脱げるモンはここで脱いで籠に入れろ。その後風呂で暖まってこい。俺の服貸すけど下着とかは無理だから洗濯乾燥してもう1回着てもらうしかない。必要ならそこにあるもんは全部勝手に使え」
「いきなりお邪魔して、ここまでやってもらってるのに文句なんてないよ。ありがとう」
そう言うと私は指示通りに動いた。
お風呂は今沸かしているところだから、沸いたら直ぐに入れとの事。それまでシャワーで暖まってろと言われたのでその通りにする。それからお風呂が沸いたのでゆっくりと浸かり、洗濯乾燥が完了した下着を着て彼が置いてくれたであろう服一式を着てからリビングに行くと、彼は暖かいココアを私に出してくれる。
それを飲んでる間に他の服を洗濯乾燥してくれて、戻ってきた彼に再度お礼を言う。
「拾ってくれてありがとう。いきなりだったのにこんなに色々してもらえて助かったよ。正直野宿でもしようかと思ってたから」
流石にずぶ濡れのまま漫喫とか入れないしね。
と付け加えると、また渋い顔をする。
彼は私の家庭環境を知る数少ない人間だから、あまり口出ししたくないんだと思う。でも、こうして私が両親から逃げ出した時に、何もない日だと今日みたいに拾ってくれるのだ。
非常にありがたいと思う反面、すごく申し訳なく思っている。
「女がこんな時間にうろつくな、危ねえだろ。しかも漫喫って⋯⋯せめてホテル行けよ」
カプセルホテルとかあるだろと小言をもらったが、私は笑って誤魔化した。
正直バイトしてるとは言え、あの家を出るための資金として少しでも貯めておきたいのだ。だから余計な出費は出来る限り抑えたい。でも、そんな事言ったらまた渋い顔されるんだろうなぁ。なんて思っていたら「おい」と声をかけられる。
「なに?」と答えながらココアの入ったカップをテーブルに置くと、いきなり何かを投げてよこした。
反射的に何とかキャッチしたけど、これは⋯⋯?
疑問に思いながら見てみると、私の手には鍵があった。
「毎回変なとこで泊まろうとするくらいならここで良いだろ」
余程私が不思議そうな顔をしてたのか、彼はそう付け加える。
「え!? 流石に悪いよ! 結構頻度高いし、それに⋯⋯――――」
「家主の俺が良いって言ってんだ。好きに使え。それにこんな事繰り返してたらいつか犯罪に巻き込まれそうだしな」
少しは危機感持てとそう言われてしまうと、常に懸念していた事柄ではあったので黙るしかなかった。
「いつも迷惑かけてごめんね。でも、ありがとう」
私がそう言うと彼は「お前のせいじゃねぇだろ。気にすんな」と乱雑に頭を撫でられる。
雨は未だに止むことを知らず、ザァザァと耳障りな音を立てている。
雨の日は高確率で嫌な事が起こるけど、少しだけ嫌じゃない事も起こる。
暖かいお風呂に美味しいココア。それらを提供してくれる不器用で優しいクラスメイト。
なんで自分に優しくしてくれるのかは、分からないけど⋯⋯今はこの暖かさに甘えよう。
そうして私が少し眠そうにしていると、彼にベッドへ促されたけど私は首を横に振る。
ベッドが嫌だと思ったのか少し考え事し始めた彼に、私はダメ元で我儘を言ってみた。
「今日は少し肌寒いから、一緒に寝たい」
また渋い顔されたけど、溜息一つで了承してくれた彼にお礼を言って、いつもより少し早い眠りにつく。
明日の朝はきっと、いつもよりも素敵な朝になるんだろうと思いながら彼の温もりに包まれ意識を手放した。
5/23/2025, 10:23:17 AM