星乃 砂

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【恋物語】

急な坂道を300m程登った所にある、とても古い屋敷が僕の家だ。
家は崖っぷちに建っていて2階の僕の部屋からは街の全てが見渡せる。
僕にとってこの景色が全てだ。
小さい頃事故に遭い、目の前で父を失い僕は記憶を失った。
足にも大怪我をし再び歩くのは難しいと言われた。
僕にとってこの家は陸の孤島になった。
2日に1度、家庭教師が来てくれる。
1日の殆どをこの部屋で過ごしている。
くる日もくる日も外を眺めている。
近くに中学校があり、毎朝遅刻ギリギリに走って来る子がいる。
さすがに顔までは見えないが、今日はアウトかセーフか。
毎日の日課になっていた。
帰りはどうなのだろう?
顔がハッキリしないので探せないと思っていたが、授業が終わると真っ先に走って帰る子がいた。
あの子に違いない。
一度でいいからあの子に会って話しをしたい。
何とかしてあの子に会えないだろうか。
この足さえ動けば会いに行けるのに。
僕はとんでもない事を思いついた。
僕は彼女宛に手紙を書いた。
《いつも走っているキミへ
はじめまして、ボクは崖っぷちの家に住んでいます。
ボクの部屋の窓からは街が一望できます。
最初にキミを見かけたのは、小雨の降る朝でした。
傘も差さずに全力で走っていた。
次の日もまた次の日も、朝も帰りもキミは走っていた。
ただそれだけなのに、名前も知らない顔もわからない。
それなのにボクの中でキミが溢れている。
この気持ちがキミに届く事はないだろう。
それでいい》
ボクは手紙で紙飛行機を折り、窓からキミに向けて飛ばした。
奇跡なんて起こりはしない。
それでも紙飛行機は風に乗りボクの想いを運んで行く。

翌朝、いつものように走っているキミを見かけた。
「おはよう。今日も元気そうだね」
あの紙飛行機はどうなったのだろう。そんな事を思いながら下校時刻を迎えた。
校庭を走り校門へ向かうキミ。
校門を出ていつものように右に向かうはずが今日に限って真っ直ぐに進んで行く。
珍しく用事でもあるのかな。

夕食のあと、お母さんが手紙を持ってきた。
切手がないので直接ポストに入れたのだろう。
宛名には ‘窓辺のあなたへ’ と書いてある。
《はじめまして、いつも走っている私です。》
ボクは自分の眼を疑った。
あの子からの手紙だったのだ。
届いたのだ。
《体育の時間に偶然、枝に引っかかっている紙飛行機を見つけました。
あなたからの手紙だと知り驚愕しました。
私は以前からあなたの事を知っています。
もう少し時間があれば、会って謝りたいのに。
私は、明朝母の実家に引っ越す事になりました。
もう二度と会う事はないでしょう。
私がなぜあなたの事を知り、なぜ謝りたいのか。
引っ越し先から一度だけ手紙を書きます。
        サヨウナラ》

ボクはショックのあまり、しばらく動けずにいた。
もう会えないなんて。
彼女はどうして、ボクの事を知っているのだろう?
謝りたいなんて、どうしてだろう。

ボクの恋物語は始まる前に終わってしまった。

           つづく

5/19/2024, 6:19:36 AM