第七話 その妃、褒美を取らす
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湯浴み後の長い黒髪を拭いながら、宦官の男はそれは大層大袈裟に溜息を吐いた。
「はあ。一時はどうなることかと。僕の寿命は確実に縮みました」
男は見せびらかす様に、片手で自身の髪の毛先をいじってみせる。そこは、少しだけ焼け焦げていた。
「結果良ければ全てよしって、よく言うじゃない」
「だからって、効果抜群に煽らなくても……」
目を走らせると、至る所には爆発の痕跡、そこら中は水浸し、大きな穴の空いた屋根には、今にも落ちてきそうなほどの満天の星――……
『……全て聞かなかったことにしておきましょう。それが御身の為故なれば』
『理由を述べよ』
『理があれば勝ち、理がなければ負ける。闘いとは、そういうものです』
『ほう。妾の話には理が全くなかったと?』
『無茶苦茶にした後は全て天に丸投げ。……それの何処に理があると? これは遊びではないのです』
『ではおぬしは、このまま愛しの妻と御子が死ぬのをただ指を咥えて見ているとよい』
『……はあ?』
思い出しただけで肌が泡立つ。
彼の者は、確実にこの首を取りにきていた。
「あれは、絶対に敵に回してはいけない類の人間ですからね。鬼となれば、都など容易に焼き払ってしまいます」
「味方になってくれたんだからいいじゃない」
「簡単に言ってくれますけどねぇ」
容易でないことは百も承知。味方にならなければそれまで。あの時、あの場で陰陽師にこの命を差し出したまでのこと。
「これだけの被害で収まったことを、僕は存分に褒めていただきたいくらいですよ」
辺りに何もなかったからこそ、男の言う通り最小限で事は済んでいる。
それでも尚、今こうしてこの首が繋がっているのは、何処かの愚か者が、爆風からその身を挺して守ったせいだ。
「御蔭様で、襤褸屋の風通しはかなり良くなったわね。御礼に今度花でも贈ろうかしら」
「そうですねえ。僕個人としては桜と藤は外せません。あとは……そうだなー」
そして、濡れ羽色の髪を解くように梳きながら、男はどこか甘えるように囁く。
「……勿忘草がいい」
「いつ誰が、あんたの好みを聞いたのかしら」
「因みにあなたは何の花がいいですか?」
まるで何かを隠すように、いつもの薄っぺらい笑みで取り繕う。
そんな、哀れな男を束の間じっと睨んでから、溜息を吐くように呟いた。
「橘花《ジュファ》」
「……はい?」
「あんたもよく覚えておきなさい。そしてよく見ていなさい。これからどれだけの人間がこの名に怯え、そして震え上がるかをねえ」
呆気に取られたのも一瞬のこと。
ハハッと年相応の表情で一頻り笑った後、宦官に成り済ましたその男は、ゆっくりと頭を垂れた。
「良《リアン》。必要があれば、その名でお呼びください」
「あら。勿忘草《ウーワンツァオ》でなくていいのかしら」
「長いですし」
「そう。でも褒美は変わらないわよ」
「……褒美ですか?」
「その胡散臭い顔に見飽きた頃だったの。丁度よかったわ」
せっかくだから、庭に植えようかしらねえ。
そう言うと男は、少し困ったように苦笑を浮かべた。
「僕の褒美だったのでは?」
「この庭をあげると言っているようなものよ? 何処に不満があるのかしら」
「……わかりました。じゃあいつ植えてくれるのですか」
「あんたの勝手にどうぞ」
「そんなことだろうと思いましたよ」
ふっと口元に弧を描いた男――リアンは静かに跪いて、それを受け取った。
『勿忘草の記憶』がいつの日か、『嫌がらせ』と言う名の笑い話に変わることも知らずに。
#勿忘草/和風ファンタジー/気まぐれ更新
2/2/2024, 1:45:03 PM