春一番

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 今日の竹凛は、すこぶる機嫌が良かった。
 大学院の課題レポートが教授に褒められたり、彼女とのデートが上手くいったり、とにかくなんでも上手くいった一日だった。全ての予定を終え、駅の改札口に向かい、ちょっといいお酒でも買って帰ろうかと鼻歌交じりに歩いていると見慣れた顔が目に入った。

「これはこれは…」

 そこにいたのは青雲だった。しかもすらっとしたイケメンな男の子と話している。竹凛はにやにやしながら青雲も隅に置けないな、と見ていた。
 すると、青雲が改札口の電光掲示板を指さして彼に何か言った。男の子は弾かれたように青雲に何か訴えているようだったが、青雲はゆっくり首を横にふった。男の子はその青雲の様子を見て泣きそうな顔をしながら、ただ最後のプライドかなにかなのか、無理矢理に笑って手を振り、改札口を通っていった。
 この一連の光景に思わず竹凛はひゅう、と口笛を鳴らした。そして青雲に声をかけるべく、足を踏み出した。そして何食わぬ顔でよっ、と手をあげ青雲に声をかけた。

「青雲じゃないか、おひさ」
「…竹凛兄さん」

 青雲は少し肩を震わせ、声の方を見やった。その声の主が竹凛だと分かると、あからさまにほっとしたように息をついた。

「お久しぶりってほどじゃないですよ、一週間前も顔を合わせました」
「むしろ一週間も合わせてないぞ」
「ははは、たしかに」

 他愛も無い会話だったが、これは…と竹凛は思う。前にあったときと比べて、なんとなく心ここにあらずト言う感じと、少し歯車が軋む感覚がして青雲を見据える。そして、

「何かあったのか」

と、聞いた。そう聞かれるのが分かっていたのか、青雲は目を閉じながらほほえみ、

「何もないですよ」

と、いつものとおりに答えた。じいっと竹凛が青雲を見つめると、青雲は困ったように視線を泳がせ、なんですか、そんなに見つめられると困るのですが、と居心地悪げに呟いた。

「いや、憂いを帯びている青雲は他人がほっとけなくなるような雰囲気を醸し出すなと思って」

 そう言うと青雲ははあ、と少し首を傾けた。

「竹凛兄さんは昔から変わらずかっこいいですよ」
「青雲は昔と比べて嘘をつくのがうまくなった」

 ふと、青雲の体に緊張が走ったのがわかった。自分でも気がついたの、青雲はいつもの笑顔をとっさに貼り付けた。

「嘘なんかついてませんよ」
「お彼岸の日」

 一瞬、二人の間に流れていた時間が止まる。

「何かあったのか」

 その言葉に、青雲は答えなかった。否定も肯定もしない。ただその言葉を受け入れただけのようだった。そして青雲は重いため息をついた。

「…僕は嘘がうまくなったんでしょう?」
「青雲たちが生まれたときから見てる俺には誤魔化せないぞ」
「だとしても、分かっているならちゃんと僕の嘘に乗せられてくださいよ」
「時と場合による」

 青雲は一回言葉をとめ、竹凛を見据える。そしてやっぱりいつもの顔で笑った。

「本当に、何もないんですよ」

 答える気はないのだとわかった。竹凛はこれはまだだめだなと思い、自分を納得させた。まあ、もう大学生であり、大人に片足突っ込んでいるのだから外野がとやかくいうものでもないだろうと一人思案した。

「…ふーん、まあ、俺から一つ言わせてもらうなら恋人にあんな顔させるのはナンセンスだぞ」
「いやいや、ちゃんと線を引いてあげるのは優しさですよ。ていうか恋人じゃあないですし」

 次に話すときにはいつもの青雲に戻っていた。話を聞くとなんでも、さっきの男の子は同じ学校の人で、少し買い物に付き合ってほしいと言われ、承諾したのはいいが、少しボディタッチが多かったり、含みのある言葉を言われたりしたらしく、きっちり役目を果たして、きっちり帰らせた、ということらしい。それを聞くと、さっきの男の子の、哀れさがより一層際立った。そして、まったくモテない自分の弟の顔が浮かんだ。

「なんで青雲や俺がモテるんだろうな~」

 すると青雲は不思議そうに首を傾げた。

「嘘つきだからでしょう」

 青雲は当たり前でしょう、と言わんばかりに含みを持った笑みを浮かべた。

「生花より造花の方が色鮮で美しいように、食品サンプルが本物以上に見せるように、正直な人より嘘で塗り固めた人の方が美しく見えるものですよ」

 たしかに、と首を縦にふりながら、竹凛は言葉の端々を思い出し、顎に手を当てた。

「遠回しに俺のこともdisってない?」
「なんのことやら」
「意趣返しが露骨すぎる…」

 調子の戻ってきた青雲に安心しつつも、釈然としない感情を抱きながら、やっぱり良かったと竹凛は口の端を上げた。

「まあ、悔いのないようにやれよ」

 そろそろ行くわ、と手を上げると青雲も電車の時間を確認しつつ、
「ええ、善処します」

と返答した。そんな青雲の様子に竹凛は笑みを零す。

「まったく、青雲は可愛気のないかわいいやつ」
「そんなふうに私を言うのは竹凛兄さんだけですよ」

 じゃあそろそろなんで、と軽く会釈をする青雲に返事をしつつ、竹凛は当初の目的であるお酒を買いに、青雲は改札口に向かう。ふと、青雲は思い立ったように足を止め、竹凛の背の方に振り返った。

「人生なんて、蓋を開けたら後悔ばかりですよ」

 竹凛はその言葉に驚き、後ろを振り返った。青雲はもう改札口を通り、横目で、竹凛を捉えてにやりと笑い、そのまま階段を降りていった。

 竹凛は回りに迷惑をかけないように口の中で笑いを抑える。

…やっぱり、お前はそういうやつだよ、青雲

5/15/2023, 2:56:59 PM