燈火

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【海へ】


遠い地平線の先、遥か南に君の故郷は沈んでいる。
元より水害の多い場所ではあった。
でも、だからこそ自然と生きる術を心得ていた。
その知恵も技術も、一緒に沈んでいったけど。

故郷を愛している君は、最終便の船で街を出たと言う。
標高の低い場所だから水位の上昇にはすぐに気づいた。
有効な対策は見つからず、その街は捨てるしかない。
そんな状況になってから住人は避難を始めた。

原因はわからずとも、水位は急激に上がったりしない。
緩やかに街を飲み込み、帰る場所を奪っていく。
およそ六年前、君の故郷で最も高い時計台が沈んだ。
今でも懐かしんで見に潜る人がいるほど親しまれている。

水位は去年より十二センチも上がったらしい。
水路の有名なこの街は、ついに歩ける場所がなくなった。
扉を開けると水が入るから、みんな窓から出入りする。
近い将来、この街も沈んでしまうのだろう。

一昨年、体の不自由な人や病人は避難を勧告された。
健常者も状況を見て避難するよう注意喚起があった。
僕はまだ残るつもりだが、君は逃げる気すらないらしい。
「疲れるからもういいよ」遠い目をして、諦めている。

君は故郷にたくさんの思い出を置いてきた。
この街が沈むとき、僕と君の生活も沈んでいく。
そんなのはもうたくさんだ、と君は泣きそうな顔をする。
「じゃあ、ここで終わりにしよう」僕は提案した。

いつか街が沈むより、僕らの人生の終わりが先だ。
溺れて苦しむのは嫌なので、自分たちで終わりを選ぶ。
そしたら、この街に残される僕らを参る人はいない。
「二人で静かな場所に行こう」顔を合わせて笑った。

8/24/2023, 7:42:26 AM