その子どもは一歩歩くごとに立ち止まっていた。壁に貼られたポスターの亀や、床に伸びた黄色のタイルを、速度を落としてあたしも眺めた。トーマスのリュックを右肩にかけ、父親らしき男性はすれ違う人の邪魔になりそうな時だけ、息子をさり気なく通路の端に誘導した。
あたしも、真っ直ぐには歩けない子どもだった。この世界は刺激に満ちていて、ひとつひとつ明らかにしないでは先になど進めなかった。母はたびたび大声を出し、私の腕を強く引いては真っ直ぐ歩かせようとした。
腕時計にチラと目をやった男性が、両手をじゃんけんのチョキにして横歩きをし始めた。
「あ! パパ、かにさん!」
気づいた子どもが真似をしてカニ歩きで傍に寄る。
「ちょっと急ぐカニ。ついて来れるカニ?」
子どもが楽しげに「いけるカニよー!」とスピードを上げる。おむつで膨らんだ尻が揺れる。
羨ましいと思う気持ちと良かったねと思う気持ち。そのどちらもあたしの真実で今だ。
遠ざかるカニ親子がぼんやり滲む。泣かないよ、こんなことで。こんなことくらいで今更。
『泣かないよ』
3/18/2026, 9:46:50 AM