今、ニシは透明化している。自身を透明化する、いわゆる透明人間になるマント魔法は、少し複雑で、扱える魔法使いは、それほど多くない。
ニシは、魔法学校に通い始めた頃から、瞬間移動や透明化といった、いわゆるマント魔法の習得に精を出していた。まぁ、単純に、かっこいいから。どうせ、魔法を学ばなければならないなら、少しでもかっこいい方がいい。
ニシの家は、代々、魔法使いが受け継いで来た家で、魔法の使えない兄が、魔法使いのお嫁さんを貰った、今でこそ自由に過ごしているが、彼が学生の頃は、彼が家督を継ぐ予定だった。窮屈な家に縛られていた、ニシの楽しみは、マント魔法を習得する事だったのだ。
トトトトトッ
廊下の向こうから、ニシの同居人である使い魔ファキュラが駆けてくる。透明化しているニシの前を通り過ぎて、リビングへ。
「あれ?ニシさぁん?」
不思議そうなファキュラの声がする。
「そうだ!えっとぉ。」
ファキュラはトテトテと廊下に戻ってくると、そのまま玄関へ向かう。玄関ドアに手をかけて、ノブを回そうとするが動かない。
「かぎ、よしっ!」
大きくて楽しそうな声がする。ファキュラは、また廊下に戻り、リビングへ。ニシも透明化したまま、後を追う。
「おるすばんっ!」
何故か誇らしげなファキュラは、そのまま、自分の画用紙とクレヨンを取り出す。
今日は、ファキュラに「留守番」の練習をさせている。自分がファキュラに対して過保護になっている事に、ニシはわずかながら、危機感を覚えていた。
「ファキュラ。」
「はい!なんですか?ニシさん。」
「明日、俺は出かけるから、お前は一人で留守番だ。」
「るすばん?」
「そう。お留守番。家の中で、俺が帰ってくるのを待ってること。」
「……。ミナミさんのお家じゃダメですか?」
「街に行って、帰ってくるだけだから、すぐ済む。」
「すぐ?」
「すぐ。」
「……ファキュラもいっしょに、まちに行きたいです。」
もじもじとしながら、そんな事を言われると、うっかり「一緒に行こう」と言ってしまいそうになる。
「ダメだ。お前は留守番。」
「……はぁぃ。」
ファキュラは、しゅんと尻尾を下げる。
「……街で、お前の好きなお菓子を買ってきてあげるから。」
「ほんとうですか!」
ファキュラは一転、目をキラキラさせる。
ファキュラに留守番の練習をさせようと決めたのは、つい先日のこと。ファキュラが昼寝をしている間に、ニシが作業場に篭って仕事をしていると、不意に扉の向こうから大声が聞こえた。慌てて、廊下に出る。
「ニシさんっ!!!」
「ファキュラ、どうした?」
「ニシさぁぁぁん!!」
ファキュラはニシを見つけると駆け寄ってきて、足にしがみついて泣き出した。
「ニシさぁん、どこにも行っちゃ、いやですっ!」
「家に居ただろ。」
「どこにも行っちゃダメです!」
寒い日が続くと、ファキュラはニシから離れたがらない。どうも、彼を呼び出した主人が亡くなったのが、寒い冬のことだったらしい。どこに行くのにも、くっ付いてきて、困っているのだ。
ニシが留守にする時は、極力、ガク師匠とミナミさんに預けては居るのだが、二人の都合だってあるし、短時間の外出で預けるのも申し訳ない。しかし、ニシにも、どうしても行きたい場所というのはある。魔法骨董の店だ。
ニシは魔法インクを作るのを生業にしているが、魔法を込めたインクは魔法に耐えられる専用の魔法道具の小瓶が必要で。新品の瓶は、簡単に市場に出回る物でもないため、骨董屋に中古の瓶を買いに行く必要がある。ただ、小さな子供(ファキュラは魔物だが)を連れて行ける店でも無い。店内は狭く、至る所に割れ物や高価な品が、所狭しと並べられているのだ。棚に触れただけで、落ちてしまいそうになる。かと言って、中古品を店に行かずに買うことも出来ない。ハクガヨリキの街の骨董店の主人は、魔力を持たない普通の人なので、余計に自分で選ばなければならないのだ。
ガタッ
ファキュラが座っていた子供用椅子から立ち上がる。
「……ジュース。」
喉が渇いたのか、ファキュラは小さな身体で、冷蔵庫を開ける。ファキュラの好きなりんごジュースは、高い所にある。
「……届かなぃ。」
パタンと冷蔵庫の扉を閉めると、ファキュラは廊下に出て洗面所に向かう。洗面台の踏み台を使って、歯磨き用のコップに水を汲んで飲んでいる。今度、留守番をさせる時は、事前に飲み物を用意しておこう。リビングに戻る途中、ファキュラは玄関に立ち寄る。玄関ドアに近寄って、ノブを回す。鍵がかかっているのを確認すると、少しシュンとした表情で、リビングに戻る。
(さて、そろそろ戻るか。)
ニシは、マント魔法で玄関の外へ瞬間移動する。昨夜、注文して置いた食料を、マント魔法で、食料品店から受け取ると、そのまま、玄関の鍵を開ける。
「ただいま。」
「ニシさんっ!!」
「うわっ!」
「おかえりなさい!」
扉を開けると、すぐそこにファキュラが立っていて、足にしがみついてくる。
「ファキュラ、おるすばん、できました!」
「うん。ありがとう。」
「はい!」
キラキラした笑顔で、ニシを見上げるファキュラ。この魔物は、本当にかわいい。ニシは、その魔力の前に無力なのだ。
「ニシさん、あのぉ。」
「どうした?」
「おやつ、ありましたか?」
ドキドキわくわくした声のファキュラ。ニシは、その頭を撫でる。
「ああ、あったよ。りんごジュースでおやつにしようか。」
「やったぁ!」
3/13/2025, 3:21:47 PM