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「ゆ〜ぅき〜や こんっ こんっ あ〜られ〜や こんっ こんっ ふって〜も ふって〜も ま〜たふ〜りや〜まぬっ」

 ザーザーと降りしきる雨の中、合羽に長靴を身につけて傘を差す娘が口ずさんだ。道端の紫陽花が花を開いて、青や紫の鮮やかに彩られた六月の今日。今朝のニュースではそろそろ関東も梅雨入りするのではないかと取り上げられていた。
 私の前を歩く年少の娘は、最近幼稚園で童謡を歌うらしく、習った歌を口ずさむようになった。まだ雪も降らない季節からなんで雪の歌を習ったのか、幼稚園の方針は分からないけど娘が楽しそうなので良しとする。
 幼稚園は大人が歩くと十分くらいで、近さと評判だけで選んだが正解だったようだ。天気の良い日は飼育している動物たちと触れ合ったり、アスレチックで遊んだり。工作やお遊戯ごとも子供たちが飽きないように非常に工夫されていた。昨日はプランターにトマトとインゲンの種を植えたらしい。娘が早く食べたいと豪語していた。
 ただ、幼稚園が近いといっても娘の歩幅では相当な距離がある。なるべく危なくない道を選んで登園しているが、興味のある方へフラフラ歩いていく娘から目が離せない。今日は特に傘を持たせていて、両手で傘を握る娘の手を引くことが難しい。周りをチラチラ見つつ、娘の後を追っていた。

「あっ!」

 前を歩く娘が、生垣の方を向いてしゃがんだ。私は危うく踏み出しそうな足を戻して、たたら踏んだ。

「おかあさん、みて! かたむつり!」

 娘は生垣の葉っぱを指差して、私を見上げた。私も隣でしゃがみ、娘の言う"かたむつり"を覗き込んだ。葉っぱの上をのしのしと這う、背に殻を乗せたカタツムリがいた。

「カタツムリさんだね」
「かたむつり、かわいい!」
「かわいいね」

 正直、虫系統が苦手な私は同じような生き物に見えるカタツムリを可愛いとは思えなかった。でも娘が「かわいい」と言うので、娘の感性を尊重するために「かわいい」と賛同していた。
 娘はそっとカタツムリの殻を撫でた後、手のひらを器にしてカタツムリのそばに差し出した。その行動に私は目を剥いた。いや、そんな、まさか。

「かたむつり。いっしょにね、ようちえんね、いこう!」

 マジかよ。
 私の本音はどうにか心の中に止まった。
 カタツムリは娘の声に応えるかのように、ゆっくりと手のひらに乗った。娘は立ち上がって「やったー!」大喜びした。娘が嬉しそうに笑う姿はとても微笑ましいが、手のひらで大事に乗せているカタツムリにどうしても目線がいく。

「本当に幼稚園、連れて行くの?」
「いく! いっしょがいい!」
「もしかしたら先生がダメって言うかもよ?」
「やだ! いっしょ! いく!」

 先生、ごめんなさい。
 私は心の中で幼稚園の先生方に謝った。

   *

 幼稚園の先生方はとても優しい。
 娘を幼稚園へ入園させてすぐの頃。娘が幼稚園の門の前で大号泣して駄々を捏ねていた。母親の私から離れることは生まれて初めてのこと。不安で心配で仕方なかった私の心を察したように、娘は泣きじゃくった。私もどう泣き止ませようかと焦っていると、娘をひょいっと抱き上げた人がいた。その人はこの幼稚園の副園長先生で、大泣きする娘の背中を慣れた手つきでトントンと叩き、あやしてくれた。

「お母さん、大丈夫ですから。めげずに明日も連れて来てくださいね」

 泣いてしまった娘をあやすことも叱ることも何もできなかった私にも、声をかけてくれた。その心遣いに鼻の奥がツンとした。

 その後約十日間、娘は教室の外で副園長先生と一緒にいた。初めての環境に同年代の子供たちに囲まれて人見知りを発揮したらしい。迎えに行くたびに「今日は私と一緒にうさぎさんのお世話をしました」「今日はアヒルさんと仲良く遊びました」と聞いて、娘は果たして馴染めるのか気が気じゃなかった。
 それでも毎日ぐずる娘の手を引き、心を鬼にして幼稚園へ連れて行った。

 その甲斐あってか、娘は幼稚園へ行くことに抵抗がなくなった。年少クラスにも行って、同年代の子供たちとも馴染んでいるようだ。お友達もできたと聞いた。毎日毎日幼稚園で何をして過ごしたか、聞くのが楽しみになった。

   *

 娘が捕まえたカタツムリは変わらず手のひらの上でのしのしと動いている。でも娘の手が小さいからか、時折落ちそうになっては娘がカタツムリに合わせて手のひらを返していた。
 今はまだ登園途中。残念なことに箱やカゴは何一つ持ち合わせていない。でもいい加減、幼稚園へ向かわないといけない。

「あっ、かたむつり、いた!」

 そうこうしていると、新しいカタツムリを見つけたらしい。娘はトコトコ駆けて行って、また手を差し出していた。その背を追いかけながら、私もカタツムリを持つことになるのか気が気じゃなかった。

「ねぇ、みーちゃん。お母さん、カタツムリさんを入れるお箱、持ってないよ。これ以上捕まえても、もう持てないよ」
「だいじょーぶ!」

 どこがだ。
 娘は私に対してえへん、と自信満々な顔した。すると、なんと手のひらにいたカタツムリを自分の傘の上に乗せたのだ。新たな仲間が加わり、合計五匹のカタツムリが、娘の傘の上を這っていた。葉っぱよりも滑りやすいビニール生地の傘で、滑り落ちないか見ているこっちがハラハラしてしまう。
 ここまでしてカタツムリと登園したいのか。
 娘の本気を感じた私は、ここでカタツムリと別れる選択を諦めた。もう一層のこと、子供たちのプロである先生方にカタツムリの行方をお任せしてしまおう。本当に先生ごめんなさい。

「じゃあ、みーちゃん。両手でしっかり傘持ってね。落としたり、振り回したらダメだよ。カタツムリさん乗ってるから、大事にね」
「うん!」

 元気よく返事した娘は、次の瞬間には精悍な表情を浮かべていた。そんな真剣な顔もできるのかと驚きながら、娘の後ろをゆっくりと歩く。娘の両手でぎゅっと握られた傘には、変わらず五匹のカタツムリが各々好き勝手動いていた。

   *

 迎えの時、てっきり幼稚園で飼うのだろうと思っていたカタツムリが、娘の手にしたプラスチックの容器に収まっていることに気がついた。先生が大変良い笑顔で「カタツムリさんとお友達になったそうなので、お家にも一緒に行くとみーちゃんが」と言われて、思わずめまいがした。
 朝とは打って変わって夕日が眩しく輝く中、娘と手を繋いで歩く。

「あ〜め あ〜め ふ〜れ ふ〜れ かーぁしゃんが〜 じゃ〜のめ〜で お〜むか〜え う〜れし〜いな〜 ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランっ ランっ ランっ!」

 大きな声で歌う娘を横目に、必死に頭を動かした。カタツムリを飼育したことないんだけど、一体何を食べるんだろう。ナメクジと一緒で塩は近づけない方がいいのだろうか。虫かご、買って帰ろうかな。ホームセンター行けば分かるかな。

 夜帰宅した夫が嬉々としてカタツムリの飼育方法を語ってくることになるとは、この時は想像できなかった。



『梅雨』
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母からよく語られる、私の記憶にない思い出話。
(をフィクションにアレンジしております)

6/2/2024, 2:35:04 AM