愛言葉
家の奥のその部屋からはいつも煙草の匂いが充満していた。ノックもせずに不躾にがらがらと扉を開ける。買い物袋をドサッとその辺の机に置いた。煙のせいか元は白色であろう壁は黄色に変色していた。この部屋では、どんな物や生命でもその輝きを鈍色に変える。煙をあまり吸い込まないようにぱたぱたと手で扇ぐ。今更こんなことやっても仕方ないが何となく気分だった。
「やあ、頼んだものは買えたかな」
部屋の主は、私の不機嫌そうな顔に目もくれず微笑みを投げた。私が目線で煙草と告げると、ごめんごめんといって煙草を灰皿で擦り付けて火を消した。
「煙草、健康に悪いですよ」
「ああ、そうだね」
手で後頭部をぽりぽりとかく様子はいかにもどうでも良さそうだった。いや、本当にどうでもいいと思っているだろう。この人、私が先生と呼ぶ人物は、自身の命にまるで執着がなかった。私はため息を着きながら、煙草と龍角散を先生に差し出した。
「早死にしないでくださいよ」
「ふふ、どうかな」
意図も簡単に交わされる死の文言。これが私たちを繋ぐ合言葉のようなものだった。
『灰の中から』
10/26/2024, 3:35:21 PM