針間碧

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『不条理』

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。大雨の降る中、俺は傘もささずに走り続けていた。足元は既に泥にまみれ、見るも無残な姿になっていることだろう。それでも、俺はわき目も降らず走り続けていた。奴らに捕まらないように。捕まったら最後、死は免れない。どうして…どうしてこうなってしまったのだろう。
 別になんてことない日だった。お腹がすいたはいいものの、家に食べられるものが碌になく、近くのコンビニに買い出しに出ている最中であった。俺の家からコンビニまではそこまで遠くない。徒歩で五分かかるかかからないか、といったところか。人通りこそ少ないものの、街灯の少ないこの場所では貴重な光源である。俺は定期的にこのコンビニに通っていた。コンビニには、珍しくパトカーが停まっていた。どうやらパトロール中の警察官がここで一休憩入れているらしい。結構なことだ。最近はやれ救急隊員が休憩していただ、パトカーが意味もなく停まっているだ、世間がうるさいことこの上ない。自己を主張しやすい世の中になったのはいいことだが、いきすぎた主張はかえって世の中を生きづらくする。何故それを理解できないのだろうか。…おっと、口が過ぎた。予定通り何か食べられるものを買って帰るとしよう。俺はコンビニに入り、おにぎりとスナックを買った。
 それは、コンビニからの帰り道であった。いつも通る道の途中にある路地裏から「うぅ……」とうめき声が聞こえてきた。この路地裏はよく酔っ払いが飲んだくれているから、今日も誰かが泥酔しているのだろうと気にせず通り過ぎようとした。しかし、ふと鼻に入ってきたにおいが、普段のアルコールのにおいとは明らかに違った。なんだろう、鉄のような……。血?まさか、誰かが倒れて血が出ているんじゃないだろうか。ここまで血のにおいが流れてきているのであれば、相当出血している可能性が高い。そうであれば話は別だ。このまま帰るのは気が咎める。俺は急いで暗い路地裏を進んだ。
 スマホであたりを照らしながら、声の主を探す。声の大きさからしてそこまで遠くはないはず。倒れている人の声を逃さないよう静かに、慎重に進んだ。少しすると、声の主らしき人が倒れているのが見えた。暗がりながらも、赤い血だまりができているのも確認できた。
「大丈夫ですか!」
 焦って近づこうとした、その時だった。倒れている人とは別に、違う人もいるのに気が付いた。その人は、倒れている人の目の前にいた。いや、正確には一人ではなかった。複数人いた。どうやら倒れている人を無視して去ろうとしているところであったようだ。全員こちらを振り向くような体勢になっていた。なぜこの人たちは倒れている人を助けようとしないのだろう。そう思いつつ、救急車を呼ぶようお願いしようと息を吸った時だった。
「ヒュッ」
 吸い込んだ息を、もう一度吸い込んだ。彼らの内の一人の手に、大きめの刃物が握られているのが目に見えたからだ。しかも、その刃物は赤く光り輝いていた。
 間違いない。倒れている人は、彼らによって殺されたのだ。死体をそのままに去ろうとしたところで、俺が出くわしてしまった。現状を、瞬時に理解してしまった。
 彼らが何を話しているのかわからない。耳鳴りがし、聞こえてこない。ただ、この現場を見てしまった俺の処遇をどうすべきか話をしているのだけはなんとなくわかった。今俺にできることは、今の状況を背にして逃げることだけであった。
 そのまま走る。走る。家に帰るわけにもいかず、焦ってコンビニとは逆方向に走ってしまい、どこを走っているのかもわからなくなってきた。いつの間にか雨が降り始め、アスファルトで覆われていた地面は、雨を吸い込んだ土に様変わりしていた。
 とうとう足がもつれて倒れてしまった。と同時に、俺の後ろ髪を思いっきりつかまれ、無理矢理顔をあげさせられた。目の前には先ほどの集団の内の一人の顔があり、微笑を浮かべながらこちらに語りかけてきた。
「すまないね。見られたからには生かして帰すわけにはいかないんだ。君の運の悪さを恨むがいいさ」
 目の前の男が言う言葉が、遠くなってきた。
 なぜ、なぜこんなことになっているんだ。俺は荒事が苦手だから、誰の邪魔にもならないように静かに生きてきたのに。なぜ「見た」だけでこんな目に合わないといけないんだ。なぜ、このような不条理を受け入れなければならないのだ。
 俺は、そのまま意識を失った。

3/18/2024, 3:01:44 PM