ただの大学生

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「ごめん」や「すみません」で終わるのが
何故か嫌だ。理由は分からない。
どんな時でも
ありがとうで終わりたい自分がいる。

先生に叱られた時
上司に叱られた時
友達に注意された時
私は決まってこう言う。
「すみません。すみません。ありがとうございます...」
「そうだね..私が悪いねそれは...ごめんね。教えてくれてありがとう」
何故だろうか。親の教育か?いや違う。
親に怒られた時に、最後に「ありがとう」を
つける人なんて見たことがない。
基本的にはバトルだ。もしくはスルー。

何故最後に感謝をつけてしまうのだろうか?
安心したいからか?
不安になりたくないからか?
「私はとある結論を出してみた。」
なんてことを言ってみたいものだ。
まだ18歳だぞ? 言ったところで記憶に擦り付けられず
脳内の無意識的ゴミ収集車に運ばれるだけだ。
しかし、それを覚悟で言ってみようと思う。

「私はとある結論を出してみた。」
それは、「黄金律を守っているかどうか」だ。
黄金律とは簡単に説明すると、「誰かにしてもらいたいことはする。誰かにしてもらいたくないことはしない」
自分が哲学を好きになった要因の一つでもある。
例えば、「話しかけられたいと思うなら、自分から話しかける」 「悪口を言われたくないなら、自分も言わない」など、色んな考え方ができる。
つまり、自分が何故最後に「感謝」をするのか。
それは、「感謝されたいから。」という結論に至る。
皆さんも沢山考えてみましょう。

#12 安心と不安

~コソコソ裏話~
話せばもっと長くできたんですけど、
今回は諦めました。
また、いつか長く描けれたらなと思います。あとは、
基本的には哲学で考えている内容は現実世界には行かないんですよね〜、めんどくさい事になるのでね〜。なんか、イメージ的には色んな自分がいる。みたいな感覚なんですよ。色んな自分が哲学しているみたいな?
感じです。まぁ今回のは例外で、
現実世界にも乱入してきます。
そうです。これが俗に言う、わがままです。














































@philosophy_Mid 自分の適当な頭の中を投稿しているので、暇な方は見てください。暇ではない方も見てください。失礼します。(あ、Xで調べたら出てくるはずです)

1/25/2024, 1:31:31 PM