「ごめんね。こうなるとはさすがに思ってなかった」
突然の少女の謝罪の言葉に、少女の友は困惑に目を瞬かせた。
「え、と。どういう意味?」
「いろいろ。巻き込んだ事。守れなかった事。逃げられた事」
指折り数えて挙げられていくいくつかに、さらに困惑した表情が浮かぶ。そのほとんどが、身に覚えのないものだ。僅かに覚えのある事でも、逆に心当たりが多すぎてどれを指しているのかは分からない。
そんな友人の表情を見て、少女はごめんねと繰り返した。
「ここに来て最初に『ころも様』を一緒にしたいって言った事覚えてる?ほら、従兄弟の自転車の話のやつ」
少女の言葉に頷いて肯定を示す。僅かに眉根を寄せ嫌そうにするのは、自転車の状態やその後に訪れた事故現場である坂へと赴いたからなのか。その内心は少女には察する事は出来ない。
「やらないって言われるとは思っていたし、あたしもやるつもりはなかった。ただ少しだけでも揺さぶりをかけられたらなって思ってたんだよ」
「揺さぶり?」
「そ。クラスで『ころも様』をやった子たちに巻き込まれた後からずっと付き纏ってる変なやつに」
彼女の背後を指させば、驚きに息を呑む音が聞こえた。気づかれてはいないと思っていたのだろう。普通に接しているだけでは、分からないものだ。だが親友として常に側にいる少女には、その違和感を最初から感じていた。
「あたしはそういうのはまったく分からないからさ。従兄弟の事故をダシにしてのお泊まり会で、それがどういうものか分かればって思って。んで、もしもヤなものだったら、ここに置いていっちゃおって考えてた」
「え、何それ。初耳」
「だって言ったら警戒されちゃうだろうし、ここにも来なかったでしょ?」
確かに、と納得する友人に少女は笑いかけ。しかしその表情は次の瞬間には苦々しいものへと変化する。
「でも失敗した。逃げられるなんて…様子見なんてするんじゃなかった。ごめん」
「大、丈夫、だよ?逃げたとかじゃないから。うん」
歯切れの悪い様子に、少女の表情は険しいものになる。どうやら嘘は言っていないようではあるが、すべてを語っているわけでもないようだ。
「それよりも、ここに置いていくってどういう事?ここは一体何?」
話を逸らされた、とは思うが、彼女の疑問はもっともである。何一つ話さずに、騙すような形で連れて来たのだから知りたいと思うのは当然の事だろう。
正しくは分からないから話せないけれど、と前置きして、少女は語る。
「ここはね。説明出来ないなにかが至る所にいるんだよ。人を隠す屋敷。体が裏返る店。存在を奪われる神社。化かされ惑う坂道。魂が入れ替わる奥座敷…挙げれば切りがない」
非日常が常であり、逆に日常的なものを探す方が難しいくらいだ。
「場所が悪いのか。本家…あたしのママの実家なんだけどね。そこが大昔に何かやらかしたのか。とにかく変なものがどこにでもいるような場所。だから今更変なのが増えた所で変わらないかなって思ってたんだ」
「そんな犬猫じゃないんだから…出来るわけがないよ」
呆れを滲ませて嘆息する友人に、少女は小さく笑みを浮かべた。
この場所を知っても怯える様子がない事に、密かに安堵する。嫌われてしまうかもとは一応覚悟をしていたが、どうやら一番の最悪は避けられたらしい。
「計画ではこの裏の日に置いていくつもりだったんだけどね」
「裏の日?」
「今同じ日を繰り返しているでしょ?同じ日が続いて段々といろんなものが裏返っていくから、裏の日。本家の敷地内であれば、影響は少ないけど」
窓を見る。カーテンで見えない外は、おそらく悲惨な光景が広がっているのだろう。
捻じれた道路。縦に裂け幹が剥き出しの木。外に開いた家。醜悪な見目の肉の塊。地を這い呻く亡者。
裏返るのは形あるものだけではない。人の精神にも影響を与え、今まで隠してきた内を暴きたてる。
視線を友人へと戻す。目を伏せ何かに耐えるように唇を噛む彼女は、普段とは違いとても弱々しい。屋敷にいれど、幾分かは裏返りの影響を受けてしまう。きっとこれが本当の彼女なのだと思うと胸が痛んだ。
「いなくなる前にあれに何か言われた?」
「…繰り返す日の中で、戻るまではおとなしくしてろって」
ぽつりと呟かれる言葉に、なるほどと頷く。ということはあれは近い内に戻ってくるという事だ。繰り返し続けて閉じるこの地に、入り込めるほどの強さを持つという意味でもある。
想像していたよりもやっかいな相手に、内心で舌打ちした。
「一応聞くけど、あれの言う事を聞いておとなしくしている?それとも裏の日から抜け出して帰る?」
「出れるの?」
「そりゃあ毎年来ているからね。まあ何もしなくても本家の人たちが戻してくれるから、あまり使う事がないけど」
選択に迷う友人に、手を差し伸べる。
「詳しくは知らないし、無理矢理聞き出す事もしないけど。目的があるんでしょ?ここを出ても一日しか経ってないけどさ。あれの言う事を聞いて、やりたい事は出来るの?」
迷う眼が揺れる。涙の薄い膜が張られていくのを見て、この子の本当は強がる泣き虫なんだ、と学校では知る事が出来ないはずの本質を垣間見て、少しだけ後悔した。
「でも神様が」
「あれは関係ない。あたしは零《れい》に…あたしの親友に聞いているの!」
びくりと肩を震わせる、まるで幼い子供のような友人を少女は強い眼差しで射抜く。差し出していた手で彼女の左手を掴んで引いた。
「えっ。ちょっ、と」
「行くよ。ほらぐずぐずしない」
友人の手を掴んだまま、少女は部屋を出て歩き出す。掴んだ左手が控えめに引かれたが、気にしている余裕はなかった。
猪突猛進。勇往邁進。成長し、幾分か落ち着いてきたとはいえ、本質はそう変わりはしない。
繰り返しの日々を抜け出して、それから何をするのか。明日《さき》の事は何も考えず、ただ今日《いま》を抜け出すためにひたすら突き進んだ。
20240823 『裏返し』
8/23/2024, 9:51:34 PM