水白

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遠くでざわめく人の声がする。

坊ちゃんの我儘のためここへ追随しただけで、本来椋なぞそこそこの一族は到底出席などできない、御三家を主とした集会だ。
散々連れ回されてから放逐された椋は、どこか誰もいない場所に隠れたい心持ちだったが、間者か何かと間違われても困る。
そこで母屋に面した広大な庭の中心にある池のほとりに突っ立っていた。
屋敷の喧騒はひそめき程度にしか届かず、庭の裏手にある竹林の葉たちのさざめく音が聞こえる静けさ。
見晴らしは良いが人気はない、ちょうど良い逃げ場所だ。

椋が20人入っても有り余るほどの目の前の池には、観賞用の鯉が何匹か泳いでいる。
池のそばにしゃがみこむと、白や赤や金がいろめいて、椋の近くへとひしめきあう。
これは人が近付いてくると餌がもらえるのを知っているからだ、と坊ちゃんの家の人間に聞いたことがある。
宙にパクパクと浮かぶ口に指を入れたら、噛み千切られてしまうんだろうか。

水面のゆらめく様をぼうっと眺めていると、屋敷の方がどよめき、椋は顔を上げる。
どうやら誰かが縁側に出てこちらの方面へと歩いてきているらしい。
しばらくすると、曲がり角から1人の少年があらわれた。
椋と同い年か少し上くらいの少年の口は一文字に閉ざされていて、がやがやとうるさいのは後ろから続く大人たちだった。
よろしければ我が家に、うちの娘と是非、献上したい物が、折り入ってご相談が、
とぎれとぎれに聞こえる言葉から、一人の少年にどんな欲望が投げつけられているのかは、ひらめきと言うほどでもなく想像がついた。

既視感。
目の前の魚達ではなく、家に帰れば椋の周りにいつもあるそれと。

「何事ですか?」
「あれが例の五条家の嫡男様だよ」
「あぁ、あの神に選ばれし才を持って生まれたと噂の?」
「才を持ったなんてもんじゃないよ、あのようなお方を神童と呼ぶのさ」
椋と同じくこの雑音に気付いたらしい使用人らがどこからともなく集まり、ささめく。

そうかあれが。
椋が抱いたのは畏怖や羨望ではなく、おこがましくも、親近感だった。
そんな椋の邪な気持ちが気付かれたのだろうか、全てを遮断していた少年が、ふとこちらを見た。
少年のあおい瞳は、きらめきをたずさえていた。
その美しさにときめく間もなく離された視線は、おそらく椋をとらえていたものではない。
それでも椋は、あの瞳に。
「…きれい」

ぼちゃん、と派手な水音で椋は我に返る。
無意識に前へと進んでいた椋の足が、池の縁にあった小石を蹴り飛ばし、池に落としてしまったらしい。
広がるのは波紋だけで、鯉たちの姿は見えなくなっていた。
石がなかったら、おちていたかもしれない。
きらめく、というのが、あんなに乱暴なものだったとは知らなかった。
椋はうごめく心臓を抑えて呼吸を整えた。

もしもう一度出会った時は。
その時は、逃げ出すことはできるだろうか。



【きらめき】

9/5/2024, 7:28:23 AM