M.E.

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わたしは幼い頃、だいすきな映画をみている途中に、終わりがこないでほしいと願った。

終わりがくると、“その物語の住人”から、“現実世界の住人”へと”心の引っ越し”をしなくてはいけない。

わたしは、映画がずっと続いてほしい、終わらないでほしいと願った。

映画のエンドロールが流れているときには、”現実世界の住人”に戻ることへの拒否反応からなのか、この物語の続きはどうなるんだろうかと“想像”をして、なんとか”その物語の住人”であり続けようとした。

“想像”することは楽しかった。その反面、“想像”しても現実の世界は何一つ変わらないことに打ちのめされていた。





やがてわたしは気づいた。映画が終わり、物語が終わっても、”その物語の住人”になった“記憶”は残っているということを。その“記憶”がわたしに勇気をくれた。

映画が終わった後に“想像”することは、”その物語の住人”から、”現実世界の住人”へと、”心の引っ越し”をするための、猶予期間なのかもしれない。

すぐに気持ちを切り替えることが苦手なわたしが、現実世界から逃げないようにするために、この猶予期間が必要だったのだと思う。

また、物語がわたしに強く語りかけてくる”想い”が、わたしを”まだ終わらない物語”に連れていってくれた。

この期間を経て、わたしは”現実世界の住人”であることを少しずつ認めて、これからも生きていこう、生きていけると思った。








“終わらない物語”はない。“わたし”という物語にも、いつか終わりが訪れる。

始まりがあるものには、必ず終わりがある。

このことは、絶望のようであり、希望でもある。

必ず訪れる、”わたし”という物語の終わりに向かって、わたしは生きることができる。



“終わらない物語”があるとしたら、それは“想い”だと思う。

“想い”には実体はなく、目に見えるものではない。

しかし、強い“想い”は、実体があり重さがある全てのものよりも、なによりも“重い”。

この“想い”は、いい方にも悪い方にも傾く。そして、軽くも重くもなる。

そして、強い”想い”はいつか、だれかの”記憶”として残る。








わたしは、この人生をかけて、どんな”想い”を、”記憶”を残していこうか。どんな”終わらない物語”を描いて残していこうか。

わたしがだいすきな映画をみたあとに残った“記憶”が、”想い”が、わたしを”まだ終わらない物語”へ導き、現実世界で生きる希望を与えてくれたように。


(END)







_________________________________________終わらない物語__________________________________________。

1/26/2025, 2:52:05 AM