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手を取り合って

 壁の染みに気づいたのは、数年前のことである。
 その頃の私は、ある人に徹底的に嫌われていた。
 大病をして会社に戻ったら、「会社に迷惑をかけた役立たず」として、産業医に健康状態と勤務態度に関して出鱈目で悪意のこもった報告書を出された。それを書いた人が、「まともになるまで指導してくれる」のだという。
 電話を一回とるごとに「敬語が丁寧すぎる」といって十五分怒鳴られ、ベテランの部員が四人がかりで二日かけてやる作業を半日・一人で出来なかったといって別室に呼び出され、まあ毎日一〜二時間は怒鳴られていた。

 通勤電車に乗るたびに、飛び込んだら楽になるかな、と思ってはいた。だがこの路線はホームドア完備の上、ギリギリで乗り越えられなさそうな高さである。へばりついてじたばたした挙句、電車を遅らせて人に迷惑をかける。それはちょっと、あまりにも格好悪い。
「万里の長城は馬が越えられない高さ」と子供の頃習ったのを思い出した。

 昔は、夕飯のおかずをいつも三品作っていた。手際は良くないが、自分で作ったものを食べるといつでもほっとした。
 いつしか皿や箸、グラスすら洗うのが面倒になり、ほとんど家では食べなくなった。食べることも面倒になり、ひたすら酒を呑んだ。
 部屋は荒れ果ててベッドの上にまでモノが溢れ、毎晩、ベッドの端で体育座りをして寝た。
 染みはそのそば、ちょうど目の高さにあって、何となく五本の指と握り拳を連想させる形をしていた。汚れた手で触ったかと思い、何度も拭いてみたが落ちない。諦めた。

 ある晩いつも通り酔っ払って、コンビニで珍しくバナナを買って帰った。
 グラスにウイスキーを入れる。
 ベッドの定位置(そこしか座る場所がない)に陣取っていつもの染みを見ると、そこに両手があった。
 手の甲を上にして、右手は緩く開き、左手は軽く握っている。
 右手が、「 やあ 」と言うようにヒョコッと上がった。
 反射的に「ジャンケンしよっか」と言ってチョキを出したら、右手はグーを作ってきた。
「負けたからあげる」バナナを出すと、右手はしっかり受け取ってくれた。
 自分の言葉に誰かが反応してくれたのは久しぶりだった。家族が病気をしていた時期で、人とゆっくり話せる状況ではなかった。
 何だかいい気分になり、ウイスキーを呷ってそのまま寝た。
 目が覚めると、いつもは週に一度しか洗っていないグラスがきちんと水切りカゴにいて、バナナの皮はゴミ袋に入っていた。

 手は酔っている時に時々現れた。
 そのうち、失くしたと思った書類や、探していたものがベッドの定位置に置かれるようになった。
「あった…」
 そう言えば昔の私はものを失くさなかったし、何かを探すこともなかったような気がする。でも今は、ガラクタと貴重品をごた混ぜに放り込んだ巨大なゴミ袋に住んでいるようなものだ。
 自分は多分壊れているんだな、と思った。でもこの手はどうやら親切にしてくれる。嬉しかったので、時々いいバナナを買った。

 しばらく経って、元の部署に異動が決まった。病気になる前にいた部署だ。なかなか死ねないし、戻れないならもう辞めようと思っていた頃だった。
 辞令が出てから初めて手が出てきた時、元の部署への想いを長々と語って聞かせて、ウイスキーのグラスを持たせてみた。
 誓ってもいいが、戻ってきた時、確かに減っていた。一口にしてはちょっと多かったと思う。だが右手はサムズアップをしてくれた。
 右手はさらに「ちょいと奥さん」みたいに手を動かして、ベッドの一角を指差した。そこらにあるものを一つずつ持ち上げる。どうやら数年前から転がっていたペンがご所望らしい。インクが切れていないか確かめてから渡すと、ペンを持ったままサムズアップしてきた。
 その日はそのまま寝た。

 あくる日、手が置いてくれた週末の舞台(予定そのものを忘れていた)のチケット袋に、ミミズがのたくったような字が書いてあった。
「このぶたい みたら フロのてんじょう うえ」
「けいさつ ごめん」
 舞台は元々好きな映画をミュージカル化したもので、とても素晴らしかった。何が好きだったのかも忘れていた自分に呆れつつ、自分にとって大事なものを思い出せたことに嬉しくなった。
 帰ってきて、まずはゴミ屋敷をできるだけマシにした。「けいさつ」を呼ぶような事態が起こるのなら、せめて獣道くらい作らないといけない。
 浴室の天井裏にはビニールで厳重にくるんだ箱があった。指紋をつけないよう、きれいなタオルで持って開けてみる。中には、人間の両手だったらしきもの-左手は軽く握った形-が入っていた。
 まずは大家さんに連絡した。実はここ数年色々あって部屋がめちゃくちゃであること。それを何とかしようと思って大掃除を始めたら(これはもちろん大嘘である)、変な箱が出てきて、その中に…
 警察がきて、色々と片付いた。
 大家さんは私を一切責めず、色々大変だったんだね、何とか頑張るんだよ、と言ってくれた。

 その手は私が越してきた十年前よりももっと前、遠くの県で遺体で見つかった人のものだった。今でも身元は分かっていないという。
 犯人も不明、手だけが見つからなかったが、私の何代か前の入居者で連絡のつかない者がいるらしい。
 被害者は左利きらしく(遺留品に左利き用の文具があったが、それでも身元の特定には繋がらなかった)、見つかった左手の指はすべて骨が折れていた。
 こうしたことを、すべて報道と昔の新聞記事で知った。この間、手は一度も現れなかった。

 明日元の部署に戻れるという日に、久しぶりに手が現れた。
 両手を合わせて、拝むようなポーズをしてみせる。左手は曲がったままなので、ちょっと昔の映画に出てくる「謎の東洋人の武術家」みたいにも見える。
「舞台、すごく楽しかった。本当にありがとう」
 右手がサムズアップした。
「…何もできなくてごめんね」
 そう言うと、手は最初にしたように、両の手のひら側をこちらに向けた。そっと両手を合わせると、手は自分の両手を合わせて包むように持った。 
 とても温かかった。
 自分たちは手を取り合って、しばらくそのままでいた。

 いつのまにか眠り込んでしまい、例によって体育座りで目を覚ますと、手も壁の染みも消えていた。
 せめて名前を書いてもらえばよかった、と今でも思っている。

 私は今、少なくとも自分を憎んではいない人の中で、大好きな仕事をしている。自分で思っているよりも評価されており、もう死にたいとは思っていない。
 もし誰かが、少し前の私より遥かに辛い状況にあったとしても、少しばかり運動神経が悪くて虚栄心がまあまああり、一人だけでも手を差し出してくれる人がいれば、死なずにすむかもしれない。そうであってほしいと思う。
 この出来事で残念なのは、すでに亡き人は呼び戻せないということ、そして誠に遺憾ながら、私はどうやら部屋が汚くても平気らしいということだ(かつては違ったということだけは強調しておきたい)。
 それでもベッドの上だけはきれいになり、身体を伸ばして眠れるようになった。舞台のチケットも失くさなくなった。

 今度、『無伴奏ソナタ』の舞台版を観に行く。そしてティム・バートン-あの時観た舞台、『ビッグ・フィッシュ』の元になった映画の監督-の新作は必ず観る。
 たった一度でも手を取り合えた人がいて、これから先を楽しみに待てる。
 私は幸福を知っている。

7/15/2024, 2:33:58 PM