お題 些細なことでも
「今日の夕飯のカレーは何を入れよう」
いつもより早く終わったパートの帰り道呟きながら今日も帰路に着く。私には11歳の息子と9歳の娘がいる。私の子供とは思えないほど素直な子たちだと思う。しかし最近些細なことで夫と別居中だ。もうあれから1ヶ月近く経ちそろそろ子供のためにも帰ってきてほしいと思うがきっかけが見つからない。
家に帰ると家の鍵が何故かなかなか開かない。しばらく経ち家に入ることができた。娘はリビングでテレビを見ていたが、いつものように部屋にいるはずの息子の姿がなかった。だが息子の部屋は妙にデスクライトだけがつけっぱなしになり1冊のノートを不気味に照らしていた。毎朝子供たちが家を出たあと忘れ物がないか確認しているが今朝このノートを見た記憶がない。不思議に感じながら、息子には申し訳ないがこっそり読もうと思うのは親として自然ではないだろうか。まだ上着も脱いでいなかったが私はノートをひらいた。それは日記だった。11歳ということもあり誤字ばかり目についてしまうがどうやら1週間前から書き始めたようだ。パラパラと見ていると一昨日の日記に「お父さんがいなくなったことをからかわれた」と書いてあった。私は自分のしてしまったことの罪の重みを実感した。小学生に父親がいないというのはそれだけでいじめられてしまうこともあるかもしれない。動揺しながら昨日の日記にも目を通すとさらに恐ろしいことが書いてあった。
「明日の放課後橋の下で戦い」
どうしてそうなる。理由はわからないが息子のいない理由はわかった。橋といえばあそこしかない。帰る時に通ったはずだが気づかなかった。慌てて家を飛び出し走って橋に向かう。その時家の中は静かだった。橋に着くと息子の声が聞こえた。夕日で影になり相手の顔は見えないが息子の顔はちょうど見えた。顔には傷がついている。急いでとめないとと思ったが息子は叫ぶように言った。
「お父さんがいなくても俺は強いんだ。お母さんだって頑張って働いて育ててくれてるんだ。だからもう馬鹿にするのはやめろ」
その言葉を聞いてなのか相手は逃げていった。私は息子の横顔を見ながら涙を堪えることができなかった。息子は1人で戦っていたのだ。この戦いをとめる資格はもともと私にはなかった。息子にバレないように帰って家で待とう。そしてお父さんとまた暮らそう。冬の冷たい風が吹くなか私は心に決めた。
息子視点
今日もまた母の作ったご飯だ。正直に言おう私は母の作ったご飯が嫌いだ。というか不味すぎる。妹もそう思っているに違いない。ニコニコしながら毎日食べているがもうお父さんがいなくなって1ヶ月。限界だった。とはいえ子供の立場で何か言おうとすると気まずくなるのは火を見るより明らか。そんなことを親友の拓郎と相談していると
「お父さんがいなくて喧嘩になってるとこをお母さんに見せたら改心して仲直りするかもよ」
彼は笑いながらそう言った。冗談で言ったのだろうが僕はいい案だと思った。というのも夕食で精神を削られる苦しみが1ヶ月続き冷静な判断などできる状態ではなかった。そして作戦当日お母さんがパート終わりにちょうど通るタイミングで俺と拓郎は喧嘩の芝居を始めるはずだった。しかしお母さんはなかなか来ない。おかしいと思っていたら、葉っぱで顔を隠した謎の子供が声をかけてきた。何故か僕たちの計画を知っている。その子は拓郎の顔がお母さんから見えない位置を異常に確認してさらに僕のセリフまで指導してきた。生意気なやつだ。しかし考えてみれば拓郎の顔を母は知っているし仲が良いことも知っている。計画は失敗していたかもしれない。セリフも自分の考えていたものより数段良かった。救世主だ。そして母がやってきた。
娘視点
兄が何か企んでいるのは知っていた。というか兄と一緒に帰る時、兄と兄の友達との会話は周囲にダダ漏れだった。そして例の案が聞こえた。馬鹿らしいと思ったがもうその案にかけるしかないとも思った。というのも母の作る夕食は地獄だった。兄はニコニコしているが最近はもう引きつり、痙攣し始めていることに私は気づいていた。父が料理上手だっただけにその苦しみはカレーの後にゴキブリを食べるが如し苦しみだった。作戦当日兄は遅れるといい私を先に帰らせたが何をしようとしているかは明白だ。当然私は橋の周辺で隠れて待ち伏せ、兄が帰るのを待った。30分ほど経ち見ていると母が歩いて家に向かっている。橋の下を見るとまだ兄たちは到着していない。「何やってんだあいつら」声に出てしまいそうになったが心の中であいつらをお兄ちゃんに言い換えて冷静さを保つ。母が通り過ぎてしまう。計画は明日にするのかと思ったが母の後ろから兄たちが来ていた。お互い気づいていない。本来なら明日にでももう一度チャレンジすればいいと思うが母の買い物袋にカレーのルーが入っていることに気づき、気が変わった。カレーは母の特異料理だ。今日中に父が帰ってこなくては死人がでると思い急いで計画を練る。まず家に先回りし鍵に細工をして母が家に入るまでの時間を稼いだ。これで残り10分。そして母が感情移入できてかつ橋に向かう日記を兄の部屋に残す。母が気付きやすいようにライトで照らしておいた。あとはテレビでも見て冷静を装う。母が帰ってきた。急ぎ過ぎて呼吸が荒いがバレてはいないようだ。母が兄の部屋に入った。あとは兄たちが喧嘩していれば。ふと思った。拓郎という兄の友達を母が知っていたら辻褄が合わなくなるのではないか。私は急いで橋に向かった。セリフも必要だ。兄に顔を見られると複雑なのでそこら辺で拾った葉っぱで顔を隠す。橋に着くと兄たちはオドオドとしている。もう私の案をやらせるしかないと思った。
その日の夕食はカレーだった。母は悲しそうにしている。兄はニコニコとよく喋っているがおそらく口に入った特異物を吐き出すことに必死なのだろう。食べる前に私は思った。計画は成功したが今日中に父が帰ってくることはない。しかしこの一口は私たちにとっては些細なようで地獄の一口だが家族にとっては父を思う大切なものだと。
9/4/2024, 5:30:50 AM