鬱蒼とした森の中で僕はただ1人さまよってる。
じめっとした空気で土の匂いや草の匂いが強調されている。陽の光は茂った木の葉で遮られ、時々葉の隙間からご利益の高い光の柱が顔を出す。1歩ずつ歩く度に、何かしらの木の枝や種類の分からない葉っぱを踏み潰している。彼ら植物が生きているか、死んでいるかというのはとても判断が難しいため、今回は見逃して欲しいと思う。季節は分からないが、虫が見当たらないのを考えると、秋か冬といったところだろう。もちろん、秋や冬にも虫はいるが、春や夏と比べるとどうしても陰気なものが多い。そういうのは適材適所なんだ。その代わりに、鳥の鳴き声が何重にも重なって聞こえる。まず、小鳥が1.2羽鳴く。それにつられて、何十匹が鳴きあう。その後少しすると、大きめの鳥(見たところヒヨドリかな)がピシャリと鳴いて、他の鳥は沈黙する。そんなやり取りを永遠と繰り返してる。
道は舗装こそされてないが、人間か他の生き物かの通り道として、気持ち程度に地面が抉られている。赤茶色の土だ。よく見ないと気づけないが、どうにか他の地面と比較してそれを探していく。途中で途絶えていることもあるが、そういう時は焦らず、1度立ち止まる。その周辺にテントを立てて、何日か泊まる。そうすると、いつの間にか道が出来ている。元々そこにはあったかのようで、前後の繋がりはとても自然だ。この森から一刻も早く抜け出すことが一応の目標だが、道がないのだから仕方ない。もしかしたら最初から道はあって、ただ単に僕には見えなかっただけかもしれない。だとしても仕方ない。僕はものに慣れるのに人より多くの時間を要するんだ。
それから、僕はその森で何日もさまよった。時間の間隔は初めからなく、今というのが現在という時間の枠組みに入ってるということにさえ違和感を感じた。
この森に自分がいるというのは、とても妥当だと思うし、そうあるべきだと心の底から感じている。しかし、それは結果と手段がどこか入れ替わっているような気がしている。この森は何か目的を果たす為の手段であって、暮らし住むような場所ではない。ただ、僕はあまりに長く居すぎたせいか、その因果の逆転に慣れてしまった。恐らく、僕はここに入る前に、しっかりとした信念を持つべきだった。若しくは、持っていた信念を忘れないように確認するべきだったんだ。
まあ、どちらにしろ過ぎてしまったことだ。まずは、抜け出すという目的を自分なりに解釈して、それに合わせて手段としての森を定義しないといけない。話はそれからだ。手遅れかもしれないが、まだ出口が開いている可能性だってある。どうにか自分なりの方向性を定めなければならない。
1/21/2025, 3:30:29 PM