帰燕[Kien]

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作品No.76【2024/06/15 テーマ:好きな本】


 すきな本を訊かれたら、私は迷うことなく、ジーン・マセイさん作、エイドリアン・アダムズさん絵、おおいしまりこさん訳の『やさしい魔女』と答えます。
 私とこの絵本の出逢いは、おそらく小学生のとき。母が、地元の図書館で借りてきた絵本でした。はじめは、濃いオレンジと黒と白という地味な色使いと、あまりかわいいと思えない絵がこわくて、興味をそそられなかったのを憶えています。そんな絵本を、寝る前に母が読み聞かせてくれたのですが、私は物語が進むにつれ、その絵本に引き込まれました。
 『やさしい魔女』は、新米魔女・リトルの初めてのハロウィーンの夜を描いた絵本です。ハロウィーンの夜、魔女達は月に向かって箒に乗って競争します。そして、その競争で一番になった者には、とびきりの蜘蛛の巣のベールが賞品として贈られます。リトルも「一番になってやる!」と意気込むのですが、上手く飛べないし、イタズラはできないし、助けようと思って声をかけた男の子には怯えられてしまうしで、失敗ばかり。リトルは、魔女失格だと落ち込んでしまいます。そんなリトルに、奇跡が起こり、タイトルにもなっている〝やさしい魔女〟と結びつくのですが——ネタバレはしたくないので、このへんでやめておきましょう。
 とにもかくにも、失敗続きで何をやっても上手くいかないリトルに、幼い私は感情移入したのでしょう。いつの間にか、その目には涙が溢れ、泣き出してしまっていました。そんな私を見て、母は「この絵本を買ってあげよう」と思ったのだそうです。
 しかし、そこで問題が起こりました。
 この絵本を出版していた新世研という会社が、このとき既に倒産していたのです。母は、知り合いの書店員さんにダメ元でこの絵本がないか訊いてみたのだそうです。そして、その書店に残っていた最後の一冊を、私のために手に入れてくれました。
 私にとって、この絵本は、初めて涙を流すほど心を揺さぶられた、大切な絵本です。この絵本との出逢いは、今でも大切な思い出です。
 この絵本に携わって世に出してくださった方々、この絵本を所蔵してくれていた地元の図書館、そして、この絵本を手に取って私達に読み聞かせてくれた母に、感謝の気持ちでいっぱいです。絵本にしては文字の量も多い方なので、私が思う以上に、読み聞かせるのは大変だったろうと思います。
 『やさしい魔女』に出逢えたことは、きっと私の幸福です。

6/15/2024, 2:59:26 PM