【揺れる羽根】
「まって」
しまった、と思った。不干渉を座右の銘に掲げる僕が引き留めてしまう程に、彼女の携えた羽根は美しく、そして儚げだった。茜色に世界を染める夕陽を前に、それよりも美しく白い輝きを放つ羽根が揺れ、遂に持ち主が僕の方を見る。陽の色を拾う明るい茶髪。濡れた目元に長い睫毛。涙で潤んだ瞳が、水面かのように僕と夕焼けを反射していて。
学校の屋上で、ほんの少しの僕らの物語が始まる。
昔から、僕には死期が視えた。人が死に近付く──天使に近付くと、人の背からは羽根が生えるのだ。その人が善く美しい生き様をすればするほど、その羽根は白く美しく。逆に悪い生き方をすれば、黒く古びた羽根になる。前述の通り、僕はこの力があったとしても人の死に関しては「不干渉」であろうと決めているから、例えこれから飛び降りるであろう人が目の前に居ても引き止めないつもりでいた、のだが。
「……取り込み中なんですけど。」
「あ、うん……そうだよね。」
不満げな表情を浮かべる彼女を前に、僕はたじろぐ。僕だって、声をかけるつもりではなかった。でも、あまりにも……。
「あの。そんな見られても困ります。」
「いやあ……ハハ……」
あまりにもその羽根が綺麗だから、と言っても、信じないだろう。声をかけてしまった理由について、どう説明するべきか。そしてこれから身を投げようとしていた彼女に、如何に声をかけるべきか。むむ、と思考を張り巡らせている間に、彼女はまた手すりに手をかける。
「いや、ちょちょ、何してるの!」
その瞬間、狙ったかのように強い風が吹いて、一際羽根が美しく揺れる。輝く。
「っ、あぶな……!」
これはまずいやつだ。そう脳が判断するまでに、僕の体は彼女のことを捕まえていた。きらめいた羽根が、僕の体を通り抜けていく。
「きゃあっ」と可憐な声を上げた彼女ごと、僕らはタイル貼りの床に倒れ込む。先程とはまた違った事件性のある光景が拡がってしまう……。そんな杞憂をしている間に、ごちん。頭に響く鈍痛を最後に、視界が揺らいだ。
「……それで、止めたと?」
僕は正座させられていた。まったく、説明が欲しいのは僕の方であるが。終始敬語で、自分が何者であるのか、羽根について、どうして声をかけたのか、ズキンズキンと痛む頭を抱えながら、一部始終話させられた。
「そう、です。」
「いや……。そもそも自殺しようとしてないです。わたし。」
「ぅえ!?」
反射的に羽根と顔を二度往復する。そのきらめきは、大きさは、儚さは。死を迎える直前の人のものだろう!
「あきらかに柵を越える手前だったじゃないか!」
「普通に綺麗だなあって夕焼け見てただけなんですけど……」
「めちゃくちゃ身乗り出してたよね!?」
「もっと遠く見えないかな〜って思って……!」
「落ちるよ!?!」
「それはすみませんでした!!」
その声の勢いのまま、彼女は頭を下げる。勢いが良かった。位置は悪かった。ごちんと僕の頭と衝突して、お互い目をくらませる。
僕はやっと理解した。この人、究極に純粋が故にドジなのだ。究極だからこそ羽根は有り得ないほどに美しく、極まっているからこそ日頃の行動に死が近いのだ。……要は、究極のバカ。
「まだ羽根ってやつは見えるんですか」
「…見えるよ、はっきりと……。」
「じゃあ、わたしのこと守ってくださいね。ぼでーたっちした責任を取って。」
「ええ……?」
乙女の純潔な身体ですよ!と騒ぎ立てる彼女の羽根がまた白く輝く。途端、なぜかあった水溜まりに足を滑らせる──のを、なんとかキャッチ。そしてまた頭をごちん。
……あぁ、どうやら僕は。よりにもよってとんでもない人に干渉してしまったらしい。薄れゆく意識の中、ぼんやりと後悔する。
少しだけだと思っていたこの物語、オチがつくのはもう少し先になりそうである。
10/25/2025, 2:45:41 PM