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『光と闇の狭間で』


 あぁ、またやってしまった……

 いけないと分かっている。また帰ったらルームメイトの夏美に説教されるんだろう。
 私の隣で眠るのは見知らぬ男だ。白い肌にカールした茶色の髪、彫りの深い目元に高い鼻。髭も生えているし、分厚い胸板には薄っすら胸毛が生えている。ハーフか欧米系の人のようだ。彼の下半身は布団に隠れて見えないが上半身は裸。そして私は布団の感触を考えても全裸だ。

「んん〜」
 男が起きたようだ。
 全く記憶にないけど、たぶん私はこの男とやったんだろう。一応聞いてみる? いや、その必要はないか。

「おはよう」
「Grazie per una serata meravigliosa」
「……」
 グラッチェ? イタリア語だろうか? ってことはこの色素の薄いイケメンはイタリア人? 言葉も通じない人と一夜を共にしたのは初めてだった。

「あ、ゴメンゴメン、ユミはニホンジンだったね。Mmm……なんて言うんだっけ? あ、サイコウ! ユミ、昨夜はサイコウだったよ!」
 名前も知らないイタリア人と思われる男は私を抱きしめて、嬉しそうに頬や口にキスをしてきた。さすが情熱の国イタリア。
 
 ──最高か……

 見知らぬ人に言われても、少しも私の感情は動かない。それにしてもちゃんと日本語を話せる人でよかった。されるがままキスをして、胸毛って意外と柔らかいんだな、なんて考えていた。

 こんなことは初めてではない。私はお酒を飲むと楽しくなって止められなくなってしまう。いつも一杯だけと、少し体が温かくなる程度でやめておこうと思うんだけど、気づくとこうして知らない男の隣で裸で寝ている。
 ルームメイトの夏美曰く、私は酒が進むと男の人に甘えたくなるらしい。自分ではそんなつもりはないし、その頃になると記憶は飛んでいるから自覚はない。

 ルームメイトの夏美と一緒に飲むときはいい。夏美がストッパーになってくれるし、酩酊しても夏美が連れ帰ってくれるから。しかし夏美がいないときはダメだ。こうして男の隣で起きて、朝帰りすると夏美に短くない説教をされることになる。

「ユミ、キレイだ。アナタが欲しい」
「え? あ……」
 この名前も知らない男に、朝から抱かれることになった。昨夜のことは記憶にないけど、今はシラフだ。シラフの状態で見知らぬ男に抱かれるなど──と思ったけど、彼が情熱的にキレイだとか、カワイイとか、愛シテルとか言ってくれるから、満更でもない気分になっていった。

 私だって愛されたい。誰でもいいわけじゃないけど、私ってちょろいのかな? こんな言葉は彼にとって挨拶みたいなものかもしれない。
 それでも嬉しかった。

 この男に落ちたら、私の未来は光り輝くのか、それとも闇が広がっているのか。私はこの男のことを何も知らない。名前すら知らない。

「ユミ、昨日みたいに『エミリオ愛シテル』って言って」
 この人、エミリオって名前なんだ? 綺麗な名前。それにしても私は会ったばかりの人に愛してるなんて言ったのか……

「エミリオ愛してる」
「Contento、嬉しい。カワイイね、ユミ、愛シテル」
 名前しか知らないけど、優しい温もりの中で、少しだけ希望が見えた気がした。

 結局私は夏美に怒られなかった。エミリオが家まで送ってくれて、夏美に挨拶までしてくれたからだ。ただしエミリオがいなくなると問いただされた。

「ちょっと優美、エミリオ様といつの間に仲良くなったのよ? しかも結婚するとかどうなってんの?」
 結婚は私も知らない。さっき夏美の前で急に「結婚するゼンテイのオツキアイ」なんて彼が言ったからだ。それよりエミリオ様?

「夏美、エミリオのこと知ってるの?」
「はぁ? 知ってるでしょ」
 夏美に聞いてみると、エミリオは大学のイタリア語の教授の助手だった。まさか大学関係者だったなんて……

「でも大丈夫なの? エミリオ様、来年イタリアに帰るとか言ってた気がするんだけど」
 帰る? そうか、彼はイタリア人で私は日本人。ずっと日本にいるとは限らないんだ。まさかついてこいとか言われるんだろうか?

 夏美はイタリア語を取っているけど、私はイタリア語なんて全然分からない。
 三月には卒業するし、一緒に来いと言われたら行けなくはないけど、海外でなんて暮らしていける気がしない。

 彼の温もりの中に確かに希望の光が見えた気がしたけど、今は不安の真っ暗な闇が私を覆い尽くそうとしている。
 愛してるなんて言ったのは失敗だったかもしれない。付き合うって話もないままに結婚なんて話が出たけど、私に国際結婚なんてできるの?

 光と闇が混在したエミリオという男。いや、彼が光や闇ではなく、私の気持ちが光と闇なんだ。

「夏美、イタリア語、教えてくれない?」
 私は闇を払拭すべく、光の中へ一歩足を踏み出した。



(完)


12/3/2024, 1:12:14 AM