sairo

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ぽつり。
冷たい滴が肩に落ち、首を傾げて空を見上げた。
薄い雲がかかる空は、それでも雨が降るほどではない青が広がっている。
天気雨だろうか。深く考えず、視線を下ろし歩き出す。
暦の上では春が来ているというのに相変わらず風は冷たくて、思わず身を縮めてしまう。
やはり上着を一枚持ってくるべきだった。そんな後悔をしながら、腕をさすりつつ足を速めた。

ぽつり。
冷たい滴が、手の甲に落ちた。
足を止めず見上げた空は、先程よりも雲が厚くなってきている気がする。
天気予報では一日晴れだと言っていたが、もしかしたら雨が降るのかもしれない。
生憎、予報を信じて傘は持ってきていない。溜息を吐き、天気を気にしながら進んで行く。
天気のせいか、朝よりも体が重い気がした。晴れか雨かで気分が変わるのは昔からだが、結局今もそれほど変わっていないことに我ながら呆れてしまう。
手にした紙袋が、かさりと音を立てた。はっとして袋に視線を落とし、苦笑する。
雨が降っても降らなくても、目的地はすぐそこだ。帰りに雨が降るようならば、傘を借りればいい。
そんなことを考えながら曲がり角を曲がる。目的地である幼馴染の家が見え、雨に降られる前に辿り着けたことに内心安堵した。

ぽたり。
冷たい滴が、頬を伝った。
空を見上げようとして、違和感に気づいた。
天気雨や通り雨だとして、一滴しか降らないのはおかしい。周囲の地面を見て、どこにも濡れた場所がないことに、さらに困惑する。
肩、手、頬。体が重く感じることも重なって、まるで自分の後ろに誰かがいて泣いているような幻覚が浮かんだ。
ただの気のせいだ。随分滑稽な想像だと笑いながら、何気なく後ろを振り返る。
何もない。あるはずがない。
そう、思っていた。

はずだった。



「いい加減、離れてくれないかな」

背中に張り付きぐすぐすと泣く幼馴染に、何度目かの溜息を吐いた。

「女……女の人、が……」

がたがたと震えながら、呻くように同じ言葉を彼は繰り返している。
呼び鈴を連打され、何事かと思ってドアを開けた瞬間の、彼の恐怖に歪んだ顔が浮かぶ。
何を見たのか、あるいは何に出会ってしまったのか。要領を得ない彼の断片的な言葉を拾い集めると、どうやら白い服を着た女性に会ったらしい。その時に何があったのか分からないが、今も離れない所からして相当怖い思いをしたのだろう。

「女の人が……」
「一応、私も女なんですけど」

聞こえてはいないと分かってはいるが、それでも不満が口をついて出る。
いくら幼い頃からの付き合いだとはいえ、ここまで意識されないのも悲しいものがあった。

「一体何を見たんだか」

肩に落ちる涙の冷たさに眉が寄る。泣き声は弱くなっていく。落ち着いたのではなく、泣き疲れたからだと分かった。。

「おん、な……の……人……」

段々と体にしがみついている腕の力が抜けていき、しばらくすると微かな寝息が聞こえてくる。
ようやく解放された。ほっと息を吐きながら、彼を起こさないように、そっと腕を外し固まった筋肉をほぐすように伸びをする。

「――着替えようかな」

肩に触れれば、まるでそこだけ雨に濡れたかのように濡れている。ちらりと彼に視線を向ければ、泣きながらも完全に寝入っているように見えた。
これなら、着替える間部屋を出ても問題なさそうだ。クローゼットから着替えを取り出し、音を立てないようにゆっくりとドアを開けて部屋を出る。

「疲れた……」

隣の部屋で着替えながら嘆息する。まだ午後を過ぎたばかりだというのに、強い疲労感に戻るのが億劫になる。
大切な用事があると言っていた。だからこうして待っていたのだが、結局要件を聞かずに終わってしまいそうだ。
何の話だったのだろうか。気にはなるけれども、聞かないままでいられたことを幸運だとも思う。
例えば、この距離の近さをおかしいと思うようになったとしたら。気になる人ができて、距離を置きたいと言われたら。
考えるだけで胸が苦しくなる。幼馴染の距離に甘えて何も言えないでいる自分が悪いというのに、どうしてと周りに原因を求めてなりふり構わず泣き叫びたくなる。

「バカみたい」

自嘲して、洗濯物を手に部屋を出る。当分は起きる様子はなかったが、早く彼の元へ戻りたかった。

ぽたり。
不意に洗濯物を持つ手が濡れる感覚がした。
視線を落とせば、小さな丸い滴。雨のようなそれに、後ろを振り返った。

「おひいさん、どうしたの?」

自分よりも背の高い、白装束を纏った人形。無表情ながら、はらはらと泣く彼女の頬に手を伸ばす。滴を拭い問いかけるが彼女は何も答えず、ただ腕を広げて抱きしめられた。
彼女の優しさに苦笑する。彼に用事があると伝えられてから落ち着かない自分を慰めてくれているのだろう。

「大丈夫だよ。いつものように勇気が出ないだけだから」

笑ってみせるものの、彼女の涙が晴れる様子はない。晴れない自分の悲しみを移して泣いているのだから当然かと、不甲斐ない自分に歯噛みした。

止まらない滴を拭いながら、五年前の川岸を思い出す。あの日もこうして彼女は自分の悲しみを引き受けて泣いてくれた。
形代として厄を引き受け、流されてきた彼女。動けないほど溜まった厄を抱えながら、それでも自分に手を伸ばしてくれた優しさに惹かれた。
こうして自由に動けるようになった今。けれど彼女はどこかに行くこともなく、寂しい自分の側にいてくれる。
きっと彼に気持ちをすべて伝えるまで、ここにいてくれるのだろう。

「私は大丈夫だから、心配しないで」

そう言いながらも、ぽたり、ぽたりと滴が頬を伝って落ちていく。彼女の涙ではない。
これは自分の涙だった。

「何だかここだけ雨が降っているみたい」

ところにより雨。
おどけてみせれば、彼女は優しく頭を撫でてくれた。
目を閉じて、深呼吸を繰り返す。
まだ雨は止まない。けれど無理矢理止めることはできる。
彼が起きてしまう前に、いつもの自分に戻らなければ。
もう少し。せめてちゃんと彼の目を見て気持ちを伝える勇気が出てくるまで。

「もうちょっとだけだから。ちゃんと伝えるから」

涙を拭い、今はまだ作った笑顔で、そう彼女に告げた。

3/25/2026, 5:44:59 PM