美佐野

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(二次創作)(私の名前)

 陽光届かぬ湖の底、それでも僅かに発光する物質の存在で前後が判る程度の明るさを保持するその場所で、かっぱはいつものように揺蕩っていた。この世界はかっぱの支配領域であり、何者たりともかっぱの意にそぐわぬ行為は行わない。かっぱの想定しない事象も起きない。そんな中、思い返すのは今しがた人間に尋ねられた問いであった。
――ねえ、かっぱくんは、お名前は何というの?
 かっぱは答えるべき名を持たない。そもそもかっぱに名など必要はない。かっぱはかっぱであり、その存在は唯一無二のものだ。そのまま答えたのに、あの人間は首を傾げる。それは人間を人間と呼ぶのと一緒ではないかと。その人間によれば、名は権利であり、最も尊重されるべきものだという。罪を犯し今まさに殺されようとする人間ですら、名はそのまま呼ばれる。
――そりゃあ、呼びたくないって理由で呼ばないことはあるし、何にでも例外はあるけど。
 ちなみにその人間は、誇らしげに、自身の名の由来を話していた。というか、話しているところを聞くのが面倒になって無言で湖の中に戻り今に至るのだ。湖の底は静かで、何の波も立たず、等しく安寧の時間が流れている。毎日のようにきゅうりを落とすからこそ相手もしてやるが、本当にあの人間と共にいると疲れるのだ。たとえこちらが一歩も湖から出ないとしても、あの人間の勢いは止まらない。
(名など、知って、どうする)
 かっぱはかっぱだ。それ以上でもそれ以下でもない。かっぱはそれ以上、考えるのをやめた。また時間が流れ、きゅうりが落ちてきたら水面に上がるだけだ。それを待ちながら、今までのようにこの世界に在り続ける。名が、どうした。この場所にはあの忌々しい女神の声も届かない。それでなお、かっぱの心の中であの人間は何度も同じ話を繰り返す。
「名が、どうした」
 声に出して呟いても、人間の声はやはり消えなかった。

7/22/2024, 6:25:05 AM